変わるって?

 民主党の公約、公立高校授業料免除に、公立だけでなく、私立高校にも、補助金を付けようと言う動きがおこっているらしい。公立だけで、高校進学志望の子ども達を受け入れるのは物理的に無理なのだから、私立に行かざるを得ない子ども達のために、修学援助が必要ということなんだろうげと、私はちょっと疑問が有る。
 公立も私立も、行きたい人はみんな国が援助しますよ、って言う姿勢に文句が有る訳じゃないし、もちろん、うちの子は大学だから、もう援助してもらえないし高い税金払ってるのに、他の人ばっかり得してずるい、などというみっともない事をいってるんじゃなくて、私が疑問に思うのは、子ども達は本当に高校に行きたいと思っているのか、ってことなんだよね。
 そりゃ、人間教育を受けないと、いろいろな事でデメリットを受けるし、人格形成の上でもいい結果が出ないと思うけど、それって別に高校や大学にいった、いかないは関係ないんじゃないのかな。
特に日本は、義務教育の9年間の中で、必要最低限の読み書きそろばん、科学の知識、生活を楽しむ美術や音楽、生活して上で必要な保健の講習まで受けられるんだから、9年間で培った教養のベースは誰でも持っている。でもって、それを手に入れた上で、もっと数学のことを知りたい、美しい日本語に触れたい。地球の成り立ちを研究したい、などなど、自然にわき上がってくるたくさんの欲望を満足させるために、より深い知識を教えてくれる高校や、大学が有るんじゃないのかな。早い話が、生きていくために必要だと思うもの、知りたいと思うものをたろたろ取り揃えてくれて、それを教えてくれる指導者がいて、おまけにデリバリーまでしてくれる、とても便利な知識のスーパーマーケットみたいなところなんだよね。
 でもね、いくら便利なところでも、100人が100人スーパーで満足するとは限らない。志望者の中には地味な小売店の方がいいと思うやつもいる。みんながほしがる流行の勉強じゃなくて、一点物しか置いていない、鞄作りの技術が欲しいやつ。冷凍食品より近くの畑でとれた野菜を自分の手で料理したいやつ。建て売りを買うより、金槌とのこぎりで家を建ててみたいやつ。高校に入るために、みんなと同じような事を暗記して、神経すり減らして次に続く大学受験に時間を使うより、もっとたくさん実際の作業を体験したい。そういう子ども達はたくさんいるはずだし、そういう子ども達のための支援していかなくちゃ行けないんじゃないのかな。
 昔は読み書きそろばんが出来たら、後は学校には行かないで、やりたい事をやるために社会に飛び出していった人間がたくさんいたんだよ。だいたい大工にして左官にしても、旋盤、板金、腕一本で食べていくに足る技術を取得するには、中学を卒業したくらいの論理より、体が覚えると言う、かなり動物的な能力が必要で、見込みの有る子どもは、親方が文字通り親わりになってみっちり仕込んだんだよね。
 親の殆どが「せめて高校だけはいって」と、高校の卒業免状が人生の必携アイテムのように考えている今の世の中では、中卒で住み込みで働くナンザ、まるで奴隷商人に我が子を売り飛ばしたようなもんなんだろうけど、本当にやりたい事を見つけた若者にとって、知らない事は何でも教えてくれる、まるで奇跡のように素晴らしい物を作っていく親方は、真に尊敬する存在で、その親方のそばで暮らす事は、とても充実した日々なんじゃないのかなー。
 自分の生活を自分の技術で営んでいく、そのためには、高校や大学に行っている時間が惜しい、そう思っている子ども達って、本当は結構いるんじゃないかなと思う。だけど、どうしてもみんなと一緒じゃないと怖くて仕方ない親のせいで実行に移せない。一回しか生きられない人生を好きなように生きていけない子ども達が、自由に生き方を選べる、そんな教育体制って、できないもんなかねー。
 国民のための教育、人を生かすというなら、民主党も、思い切って、高校くらい行かなくちゃ、なんてつまんない学歴偏重主義を捨てて、高校なんか行かなくても好きな道に進めるようなシステムを作ったらどうなのかなー。
 物作りに従事する技術者や、芸術家を育てるための無料の施設をつくる。彼らの将来にかけて経済的な支援を奨学金の形で用意する。国民全員をサラリーマンにするような画一的な政策じゃなく、それぞれの資質と希望に合った道を探せる可能性を用意する。
 本当の意味でのチェンジって、こういうことをいうんじゃないのかな。ね、鳩山さんどう思う?

アフガンのこと

この間初めて東大、にいきました。赤門の本郷じゃなくて、こちらは井の頭線の駒場東大前。小さな駅から校内に入る道は全然いかめしくなくて、ちょっとおしゃれなキャンパスって感じ。校舎をつなぐ広い石畳にそって立つ大きなイチョウの樹は、季節柄銀杏の実がいっぱいなっていて、ちょっと臭い。けどさすがに落ちてる銀杏を血眼で拾ってる婆さんなどはおらず、道行く人も、え?これ食べられるの? なんて風情で歩いておられて、さすがに高い生活程度の匂いがいたします。で、わたしはといえば「くそー、割り箸とビニール袋もってくればよかったー」とかなり強く悔やんでいたりして、独りだけ生活程度の低さを漂わせながら歩いて、目的の八号館へ。
 なぜ東大の八号館かと言うと、アフガン問題のイベントで講演をお願いした映像作家の川崎さんの作品「ヤカオランの春」の上映とシンポジウム、なるものが学生(もちろん東大生)の主催でおこなわれるというので、心優しい川崎さんが、学生達のために独りでも多くの参加者を、と連絡をくださったので、それならひとつ覗いてみようかいな、ということになり、友人とやってきた。のだが、その八号館が見つからない。9号と10号は、表示しているのに八がみつからん。なんでやー、と焦っていると、なんのことはない、何も表示してないのがお探しの八号だそうで、9と10の間なんだから、八に決まってんだろうという、さすが、東大、ひとをこ馬鹿にしたような、そこまで言わなきゃわかんない?的、レクチャーのしかたで、ほんと、生活程度だけじゃなく、知的程度も低い私としては、いたみいっちゃったんだけどね。
 なんてつまんないことで手間取りながらもなんとか教室に滑り込む。
 「ヤカオランの春」は、アフガン難民の元教師の老人が、美しかった故郷を懐かしみながら、侵略され、空爆され、家族を守るために故郷を捨ててパキスタンの難民キャンpにたどり着くまでの道のりを、淡々と語るロードムービー。実を言うと私はこれで3回目、なので、長旅の疲れ(国分寺から駒場東大前まではおばさんには長い)で、途中から寝てしまいまして、こんなに深刻な内容のスクリーンの前で、すいません川崎さん、なのですが、(終わってから、何度も同じ映画を見てもらってすいませんと、川崎さん言われた時は、皮肉かと思いましたが とほほ) 2部のシンポジウムの方はしっかり聴きました。
 ゲストは川崎さんの他に、ジャーナリストの白川徹さん、RAWAと連帯する会のしみずさん。
 今のアフガンの、治安の悪化、カルザイ政権とタリバーンとの対立による政情の悪化。人びとは疲弊し、食べる事もままならない状況で、とにかく今すぐに何かの手を打たなければ、事態はますます悪くなる、と言う、希望のない現状報告と、その状態を少しでも改善するために、日本人もなにかをする必要が有る。ペシャワール会と、代表の中村医師のように、義援金の90%以上を実際の救援活動に使っている支援グループを援助しよう。と、なんだかペシャワール会の広報みたいな白川氏のはなし。
 確かに状況は悪くなっているが、なんとか希望を持っていたいと願う川崎さんのアフガンへの思い。また、難民キャンプの中で、アフガンの女性達の悲劇的な状況をなんとかしようと、原理主義者達から妨害を受けながら子ども達の教育に力を注ぐ女性団体RAWAを支援するグループ「RAWAと連帯する会」のしみずさつきさんの、年一回、六人くらいのメンバーで、パキスタンの難民キャンで活動するRAWAのひとたちを励ましにいってる。という、支援などという上から目線の表現ではない、正に連帯する事で、わたしもあなたも同じ女性として、同じように生きていく権利が有り、それが侵害されているのだったら、それを手に入れるための手伝いをしたい、という血の通った行動報告。
 三人三様の「アフガン」を聴いた後、参加者も交えての質疑応答に入った。
 
で、問題はここからなんだけど、質問に手を挙げた連中の関心事は殆どが、今や壊滅的な状況に陥ったアフガンが、これからどうなっていくか、自分たちができることはなんなのか、の2点に集中した。
 ま、そういうことになれば、どうしてもお答えするのは「ジャーナリスト」の白川氏になってしまい、話は崩壊しそうなカルザイ政権が、どのようにしてたくさんの部族でなりたつ多民族国家アフガンをひとつにまとめていくのか、いやそれができるのか、現在の状況を見ると、それはほぼ絶望的で、これからの展望などという物を考えるより、もっと現実的に、国民の飢えや、医療の遅れによる死亡率の高さ、未来に希望のない人びとをいかに人間的なエリアまで引き上げていくか、という事が先決で、そのためにはペシャワール会(またでた)のように実際に人びとの生活に入っていって、本当に役に立つ支援をしているグループに、金銭的援助をするような、地道な意識と行動力が必要だ。
 と、まるで、どうしようもない子どもをなんとか更生させるために、大人達が手を貸してやろう、っていう、なんていうか私たちは恵まれているから、可哀想なアフガンのために施す的なスタンスで、アフガンと日本は、完全に異次元で、私たちは外から見て食べ物を投げ入れればそれでいい、と、ま、これはチヨット言い過ぎかもしれないけど、とにかく、参加者(みんな男性)と白川氏の話合いの中に、富める物の傲慢な善意を感じちゃったんだよね。
 それに、三人のゲストのうち、2人が女性だと言うのに、アフガンの女性達が置かれている二重の悲劇構造に、少しも触れていないのは、いいたかないけど、男って、ほんと自分のコトッキャ考えらんない生き物なんだよね。
 だって、イスラムの戒律と、男達の都合、欲望のために、売られ、殴られ、想像もできないような悲惨な状況に有るアフガンの女性達のことは、アフガン問題に少しでも興味が有るものなら、当然知っているはずなのに、男達でさえ生きていくのが大変な国で、庇護もなく、力もなく、ただ男達が生きていくいくための道具にされる、まるで女性差別の極地に置かれたような女性達を気遣う言葉は、ひとこともない。
 それどころか、これは後で川崎さんから聴いたことなんだけど「ペシャワール会」の代表中村医師は、イスラム社会で女性差別と戦う女性に「その活動はわがままだ」、つまり、イスラム社会で女性が差別されるのは、それは文化なのだから、それは受け止めなければならず、いま女性差別の事を言い出すのは個人的な「わがまま」だっていいたいらしいんだよね。
 そりゃね、中村さんは男だからね、たとえ外国人だってアフガンで差別されたり、結婚を強制されたりしないもん、僕には関係ないでしょ。そんなことより、用水路を作り、水を引いて、食料を自給出来るように生活を立て直すことの方が大切なんだ。っていいたいきもちもわかるよ。でもさ、それじゃ、今同じアフガンの中で、ひどい目に有ってる男達によって差別、迫害されている女たちはどうなるのよ。男達が差別する事をやめればとり合えずは、女性の状況は救われて、問題はひとつ解決される(しかもそれは他国の力はいらない、自分達の決意次第でなんとか出来る一番経済的な方法なのにねー)
 動かしがたい宗教意識とか、男達の頭のなかに巣食っている硬くて深い因習とか、もちろん大変な問題では有るけども、少なくとも、よその国との際限のない戦いよりは建設的なんじゃないのかなー。なによりも、この問題を無視して、自分達の正当性を訴えても、私たち女性は納得出来ない。イスラムの戒律が文化というなら、せめてそれに抵抗して人間らしい生活と感情を取り戻したいと思っているいる女性達の言い分も、聴いてくれるような制度を設けてほしい。
 そう考えていくうちに、なんだかアフガン問題って、民族と民族、国と国との問題じゃなくて、男と女の問題なんだ、って言う事に気づいてしまったんだけど、残念ながらそれに気づき、なんとかしなけりゃと思ってるのって、殆どが女性で、ま、それはいつも差別されない立場にいる男達にその手の想像力は期待出来ないのかもしれないけど、そうはいっても、世の中男と女だけ(生物的には)なんだし、そろそろ男達にもそういう事に気づいてもらわないと行かんのじゃないのかなー。
 ねー、男子諸君。別にけんか売ってる訳じゃないけど、環境ホルモンや急激に変化していく自然環境に対応していく時点で、ただでさえf安定なY染色体は将来絶滅するって説だって有るんだからね。自分を守るためにも、女性に対する意識改革、よろしくお願いしますよ。
 話は全然変わるけど、韓国の歴史ドラマ「チャングムの誓い」に出てくる中宗王はすごいね。儒教の階級制度を無視して、女性で有るチャングムを、人格的にも、技術的にも素晴らしいチャングムを自分の主治医にしてしまった。宮廷中が反対したにもかかわらず、その権力を女性を認めるために使ったその強い意志と見識。アフガンのなかにも、こんなすごい人物がいれば、今の状況をなんとか出来るかもしれないのにねー。

民主党って、l

何度も言うようだけど、私は自民党が嫌いです。高い歳費をもらってるくせに、おのれの頭で物を考えようとしない無能さ、数が集まらなければ何も決まらない効率の悪さ。なにより利権が絡まなければ、何かお得な事がなければ積極的に動こうとしないコズルさが、どうにうす薄汚くて、テレビの画面に自民党の連中が映ると、いやーな気分になります。
 だから、今回民主党が政権を取ったおかげで、少なくとも朝から愉快とは言えない風景を見る事はなくなりましたが、いくら記録的な惨敗をして、うちしおれている議員達を見たって、同情なんて気持ちはわいてはきません。それどころか、次期総裁選で党内のやる気のなさを露呈し、名ばかりの役職を増やして気分だけ与党を錯覚している今の自民党を見ていると、やっぱこうなるのは当然の成り行きと納得してしまう。
 この上は、今までの旧態然、カビが生えたような自民党が出来なかったリベラルな改革をじゃんじゃんやってもらいたいものだ。男女共同参画推進だって、もっとおおっぴらに、婚外子の問題、結婚制度の改革、一人親に対する保護の強化、子どもの貧困問題、これは真っ先に貧困率を割り出して取り組んでもらいたい。などなど。これまで政治家なんかに頼んでもどうもならんわ、と思っていたけど、期待くらいはしてもいいのかもーとチヨット明かるい気持ちになっている今日この頃なのに、なのになのに、なんなの、テレビ、新聞、各マスコミの民主党たたきは。やれ鳩山の献金問題、やれ小沢の権力支配、国歌戦略室の混乱、各閣僚のhu協和音、毎日毎日次々報道されて、まるで民主党政権はどうしようもないといわんばかりの内容で、その度に期待に水を差されるようなイヤーな気分にさせられる。
 そりゃね、何事も裏と表、いいわいいわで過ごしてたらとんでもない事になる、って気持ちは大切だけど、それにしても何かつ突っつきすぎじゃないの? 米国だって、政権が変わってから何ヶ月間かは、ハネムーン月間ということで、好意的な見方をするって言うのに、日本人て、可愛そ風なやつには無駄に同情するくせに、勝ったがわにはやたら寛大じゃない。それって、批判する側に強い劣等感が有るからじゃないの?  って意地悪な言い方をしたくなる。だって、自信が有ったら、勝利を収めた物に対して本気で拍手が送れるもの、それが出来ないのははっきりいってやっかみじゃないの?
とにかく、まだ始まったばかりの民主党政権を、苗のうちに踏みつけてしまおうなんて根性は、みっともないし、これからの日本のためにもならないんだから、もっと鷹揚な気持ちで見てやってほしい。
 っておもってたら、なんか最近週刊誌、特に現代とポストが、以前の自民党たたきを思い出したのか、結構民主擁護にまわっているみたいで、なかなか面白い。依然と与党をたたく事に専念しているような新潮、文春、この2誌って、ライバルだったはずなのに、今や同じ路線なのが笑えるが……。と、どう戦うか、国民はどちらを支持するか、ちょっと楽しみなのだ。

 民社党の事は多少ごたごたしても多めに見たいと思ってる私だけど、石田純一は勘弁してほしい。もういうのもみっともないから言いたくないけど、それでも言わずにおれない腹立たしいあの プロポーズ。あれじゃまるでポルノ映画のイントロみたいだよ。
 だいたい、結婚の申し込みなんて、ごくごく個人的な事で有って、人様に見せるんじゃない。見せられた方だって面白くも何ともないはずなのに、よくするし、やらせる。もともとやな男だったけどあそこまで,
プライバシーを売り物にすると、逆にご立派といいたくなる。シャブののりピーもまっさおの、芸能人生命をかけた売りこみの必死さに、すこし背筋が寒くなるような、いやはやthis is 芸能人の神髄をみたような気がいたしました。できることなら、もっと若くてきれいで、被写体としての見るに耐える芸能人でやってほしかったー。
 石田純一がthis is芸能人なら、その政治家版の亀井静香ちゃん 上品な名前と、それにほど遠い容貌、静香より亀のほうがマッチしてる男だけど、最近言う事か面白い。経団連の親分に、家族殺人が増えたのは日本企業の非道のせいだと、詰め寄ったのはすごい。確かに、人を人と思わず、社員や雇用している人間を生産性を高めるための道具だと思っているような、人間性を欠いた日本企業の正体を暴いたのは見事。もちろん、そんな事とっくにわかってはいたけれど、当事者に面と向かって言い放つ大胆さを持った政治家は今までいなかったもんねー。閣僚らしくないとか、品が悪すぎるとか、色々言われておりますが、私としては、このくらい言いたいことを言う大臣がいた方が面白いし必要だと思う。がんばれしずかー。と当分応援する気でいる私です。

・・・

言い訳しつつ TV雑感

 前にも言ったかもしれないけど、今私は、カバキーニョというブラジル楽器にこっていて、暇さえ有ればポロポロと練習にいそしんでいる。バレエの次はカバキーニョかよ、と馬鹿にされそうだが、本人は至って本気で、3年頑張ってプロ
になるつもりでいる。だから、この練習は単なる50の手習いではなくて、将来年金も貯金もない私が、なんとか食べていくための技術取得の目的をもった、真剣な訓練なわけで、そうとなれば自ずと力も入り、時間もかけたくなり、で、1日は24時間しかないのだから、食べて、寝て、バイトにいった後の残り時間は、なるべくカバキーニョに、などと思っていると、当然、よた話しの更新をしている暇などなく、それでなくても、こんなもん誰がよんでんだかわからん状態の希薄な存在故、さっさと頭の隅に追いやられ、「やらなきゃやらなきゃ」と思いつつもー、
 なんていつまでもいい訳が増し行こと言ってると、ほんとに誰も読んでくれなくなるから、そろそろなんか書かなくちゃー。で、そういう時の埋め草にはぴったりのテレビ番組についてちょいといてみました。
 えっ?カバキーニョの練習でテレビなんか見ていられるのかって、もちろん、手はカバキーニョ目はテレビ、のながら練習ですので、はい。

ショップチャンネル
 一日中、商品の紹介ばっかりやってるショップチャンネルが面白い。
紹介する商品は、ドレスから靴、アクセサリー、鍋に化粧品、なんでもござれ。
それら雑多な商品を、見事なほど同じテンションで褒めまくり、勧めまくり、あおりまくるのをみてると、ついつい商品よりしゃべってる姉ちゃんの方に目がいってしまう。
 彼女達は、たいていは痩せていて、背は高くなく、なんとなくコレッと言う自己主張が感じられない体型。やっぱり商品が主役だから、目立っちゃいけないのか、どの人を見ても同じように見える、例えて言えばバスガイド。その存在は特徴が有るんだけど、誰がやっても同じという、本質的な無個性を感じさせるキャラターだ。その女性達が、ヘッドマイクに向かって、この商品がいかにすばらしいかをこれでもかこれでもかとしゃべりまくる。
 だいたい、ドレスだの靴だの、と言ったたぐいのものは、どんなに頑張って褒めたってたかが知れていて、せいぜい色がどうとか、素材がどうとか、くらいのもんで、肝心の着心地や履き心地は実際に試してみなきゃわかんないんだから、言ったって無駄、みたいなとこが有るんだけど、ヘッドマイクから飛び出してくるこまごまとした説明、それも、言葉の頭に、絶対絶対、とか とてもとても、とか ほんとにほんとにとか、繰り返される意味のない感嘆詞がついた、ま、それだけを意識したらとてもくどくて聴いていられない説明を聞いてるうちに、なんか、すごくいい商品のように思えてきて、しかも、画面の上の方に、残りいくつ、なんて数字が映し出され「お客様、なんと、グレーはもう売り切れでございます。残りのお色も後わずか」なんて言われちゃうと、買わなきゃそんそんって感じになって思わず電話、しちゃう、らしい。なんたって、すごい売れ行きらしいから、きっとこらしいは、現実なんだと思う。
 昔からバナナの叩き売りとか、蝦蟇の油うりとか、大道で物を売る時は、大衆の目と耳を惹き付けるそれなりの口上とはったりが有って、もちろんそれはインチキ。 だけどそのはったりにはちゃんと聞くに堪える商品価値が有ったもんね。みんなはなっから信じちゃいなかったけど、気がついたら買っていた的話芸が有った。早い話が客は売ってるものより、売り方に金を払ったんだよね。だけどこのショップチャンネルのお姉ちゃん達には、そんな芸はない。ただただ同じ言葉を連呼して、買い手を妙なパニックに陥れさせる迫力と、画面に映し出される残りいくつしかないぞー、という脅しを武器に、大道じゃ考えられないほどの売り上げを現実にするんだから、いやはやなんとも違う意味ですごいよねー。それにしても、店にも行かず、確かめもせず、いろんな物買っちゃって、今の消費者って、馬鹿なのか暇なのか、よくわかんないよねー。

 芸能人にみモラルなんて求めるな
 酒井和歌子じゃない、法子がシャブやってたって、私別にびっくりなんてしません。もとアイドルだろうと、清純派だろうと、芸能人とクスリ、特にシャブはきってもきれないものだったんですからね。
なんたって、その昔芸能界と言えばやくざ、そのやくざが仕切る興行で芸能人は出演料を稼ぎ、やくざは儲け、その相関関係を保つために、クスリや酒や金、女、なんていう、いうなれば゜快楽を伴う縄で縛られていたのが芸能人だったんだから、いくら時代が変わったからって、そうそう公明正大になれるとは思わない。ましてや、のりピーが活躍していたのは音楽業界でも、演劇業界でもなく、まさに、地方の公演で稼ぐ芸能界、だったんだもの、今までなかったのがおかしいくらいじゃ。
 それなのに、まるで青天の霹靂のようなマスコミの騒ぎ方はどうした。しかも、一番騒いでるスポーツ紙と、テレビ、一番いかがわしいとこと関係してる連中が、びっくり仰天のふりには、こっちがびっくりぎょうてんじゃー。
 第一、この手のタレントにモラルなんて求めるな、っていうか求めちゃいけない。なぜならば、彼女達の住む世界は、100%虚なんだから、その実感のない生活の見返りとして、へたくそな唄に何百万のギャラが払われ、生活感のない、一般庶民から見れば、うらやましいばかりの金銭感覚で毎日を送れる恩恵をうけているわけで、社会人としての自覚なんて持たないことで、私たちは「彼らは私たちと違う世界に生きている、当然我々の規範の中には入れない」いってみれば、同じ土壌に立つことを認めていない存在。だから、多少悪い事をしても、笑って許せるし、却って安心したりする。だって、間違ってもお手本にするような人間じゃないんだからー。って、思ってた昔は。
ところが、最近芸能人にも市民権が発生しているようで、人権だプライバシーだと、「私だって人間、仕事以外の事は自由にさせてほしい」と芸能人が社会が自分たちを理解してくれていると錯覚してしまうほど。結果「それじゃ社会人として、立派で善良な人間にならねば」なんてヤバい事を実践しようとするから、元々そういう風には出来ていない精神構造に負荷がかかりすぎて、へとへとになっちゃう。その反動で「いっそ飛んでやろう」なんて、くすりやっちゃうんじゃないのー。だいたい、本気で芸能人になろうと思った時点で、殆どは堅気に生きていく気質ではない事を物語ってる訳だから、そんな彼らに一般人の常識求めたって無駄なのよ。第一そんなもん持ってる芸能人なんて全く魅力ないしねー。
 って昔酔った勢いで語ったら、「そんな人だとは思わなかった」と、良識有る女性に非難された事有ったけど、いやいやそんな事で自説を曲げる私ではないので、今だに、しっかりそう思っとります。
 だってー、ほんとに一般人の感覚持ってたら、拘置所から出たその足で、記者会見ひらいたりしないでしょ。うーんかなりの強者。捕まりそうになったとたん、シャブ抜く事考えたのは、自然の成り行き。それに、お詫びは、あんたのおかげで部数をウン倍にも増や週刊誌や、視聴率がんがん上げて大喜びのテレビ局でもない。一人残されている息子にこそあやまらなきゃいかんのじゃないのかねー

くれよんしんちゃん 
 の作者臼井義人さんが遭難事故で亡くなった。個人的には全然縁がない人だけど、くれよんしんちゃんについては、子ども達が夢中で見ていた頃から、大人を大人としてみない、っていうか、大人の馬鹿さかげんを指摘しつつも、しょうがないなーと、許してくれるしんちゃんを、「おとなだなー」と大好きだったわたしは、その生みの親の死を、珍しく惜しんじゃったりしてる。
 そうだよねー、しんちゃんて、大人が見る子ども、大人が望む子ども、像を見事に裏切ってくれていて、その何とも的を得た受け答えに、いつまでたっても育ちきっていない私はすっきり壮快な気分になったものだけど、これから見られないかと思うとほんと残念。でもサザエさんの例のように、作者がいなくなっても、しんちゃんにいつまでも叱られたり、あきれラレタリしたい大人達が、よってたかって生きさせちゃうかもしれないね。なんにしても、面白くもない大人達に一撃を食わせてくれるなら、これからもしんちゃんを好きでいるつもりだから、そこんとこよろしく双葉社様。

湯浅誠氏

湯浅誠氏
 さめた物言いなのに妙に説得力が有って、日本の現状にaキれかえっているみたいなのに、周囲を少しでも変えていきたいと言う希望を失っていない。現実を知っているけど、現実に押しつぶされたくない、だからもっと現実を知ってその攻略法を考える。
 社会のため、人のためと声高に訴えるaつ苦しさより、考えついた方法を現実化していくpろせすを楽しんでいるような、日本人には珍しい乾いたユーモaを感じさせる、湯浅誠氏。年末の派遣村騒ぎの時から、「やっと、日本にも論理的に物事を語り、かつ実行する力が有る男がでてきたんだなー」と、ちょっと時めいてたんだけど、その湯浅さんが小平で講演するっていうんで、いい男好きの私はもちろん、いきましたよ。
 実際に見る湯浅さんは、テレビよりも柔らかい感じだけど、やせて削ぎ落としたような顎の線は画面そのまま。金属huれーむの眼鏡がよく似合っている。焦げ茶のVネックシャツ、ベージュのパンツ。別に取り立ててどうってことないけど、サリゲなくおしゃれで、野暮ったくないのはこんな活動をしている人には珍しい。裸足に革のサンダルの足もとも、なんかいー。
 って、外見ばっかり言ってるようだけど、人間て、日常の習慣や嗜好が人格を表わしている生き物だから、どんないでたちで、どんな仕草で、どんな癖が有って、なんてことがその人の人となりを知る大きなヒントになってたりするもんなんだよね。と言い訳したついでに言うと、湯浅さんの癖は、話しながら妙にペットボトルを触る事。机の前に置かれたお茶のボトルに飲む訳でもないのに手を伸ばしては、前に引き寄せて、手のひらで包み込む。キャッpの上から両手で押さえ込む。そしてまた元の場所に戻す。この動作を90分間の講演中、何度も繰り返してくれた。もしかしたら、ペットボトルhェチ?(笑) なんちゃって、でも、それも何となく、「好きな事やってるうちに、こんなところで話さなくちゃならないはめになっちゃって」的な部分を見せちゃったようで微笑ましい。
 もちろん、肝心の話だって、予想通り面白かった。ちょっと前に読んだ「反貧困」
と、最近出版された「どんとこい貧困」を紹介しながら、活動の拠点「もやい」で体験を淡々と話してくれる。それでも、著書の中でいつもいっている「自己責任」という言葉については、さすがに業を煮やしているのだろう。声に力が入る。
 職を失い、住まいを失い、人を信じる心を失った路上生活者の人びとに、「そうなったのはお前のせい」という自己責任論を振りかざす、自称文化人達から、怠け者の庇護者と非難されるたびに、頑張れ頑張れと言ってきたその言動が子ども達を追いつめ、弱い人たちをもっとつらい立場に追いやっている現実を訴える湯浅さんには、いつの間にか人びとを縛っている「自己責任」という言葉には我慢がならないようだ。
 そもそも、自己責任、なんていう物騒な言葉が日常でつかわれるようになったのは、なんといっても小泉純一郎が、戦時下のイラクにいた日本人ボランティア、「危いと警告しているところに、それを無視していったんだから、死のうと生きようと国の知った事じゃない、何がおこっても、自己責任だ」といったのが発端だろう。どこの国に行こうが、パスポートを発行した以上、自国民の安全を守る義務が有ると唱っている国の総理大臣とは思えない、デリカシーと思慮に欠けたこの発言が、どうして弱い物いじめの文化人達の免罪譜になるのか理解に苦しむけど、言ったやつとレベルが同じだったんだから、渡りに船だったんだろうね、って、別に感心してる訳じゃない、逆境にいる人間に対して、「それくらいじゃ苦しみ方が足りない、私の苦労に比べればまだまだ頑張れるはず」なんて人非人的発想は、すごく危険だし私には理解出来ない。隣で苦しんでいる人がいれば、たとえ見ず知らずの人だって、少しでもその苦しみを
軽くしてaげたいと思うのか゜人間だし(いや動物だって)自分が苦しんだ分だけ苦しまなけりゃ許してやらない、なんて恥をしれーじゃないですか。
 「自己責任を振りかざす人たちって、すごく苦労したんだろうけど、その事を誰も褒めてくれなかったでしょうね。私はこんなに苦労したのに、一人で頑張ってきたのに、誰も認めてくれない。だから、もしかしたら可哀想な人たちなのかも知れませんね」攻撃してくるその手の人たちに、まるて゛火に油を注ぐような事を面白そうに話す湯浅さんをみていると、軽く勝負がついちゃったかなーとおもうけど、人間なんて、生きてきた長さじゃなくて、考えの深さが価値を決めるんだなーと痛感する。
 それにしても、なんであんなに苦労した事を強調するんだろうかねー。もう死んじゃったけど、作家の向田邦子って人は直木賞取ったときに「下駄箱の上でささっと書いたもんが賞取っちゃってー」なんて、粋な事言ってくれたんだけど、ほんとの苦労人は、どんなに修羅場くぐったって、そんなことなんでもございませんって、涼しい顔してたもんですよ。水の下で必死で足をばたつかせていても、何事もなかったように泳いでいる水鳥みたいにね。まったく、苦労をひけらかすナンザ、やぼだよねー。
 なんか、ニュアンス違っちゃったかもしれないけど、とにかく、自己責任、なんていい加減な言葉で深刻な社会問題に蓋しないでほしいんだよね。第一、今の世の中、頑張ればどうにかなるって言う状態じゃなくなってる。がんばってもがんばつても、どうしても正社員になれない、ホームレスから抜けだせない。誰かが助けなければ彼らの苦労はなくならない、って事実を認識してほしい。
 「10年以上ホームレスの人たちと関わってきて、自力でアパートを借りられた人は僕が知ってる限り2人だけです。その内の一人は、食べる物も食べないで日雇いの仕事を頑張って、50万ためました。でも、そのせいで肝臓を壊して働けなくなってしまいました。これから20〜30年の間、彼は生活保護で暮らす事になりました。自己責任を全うして住まいを確保したために体を壊した彼を国は一生面倒見なければならなくなった。もし、もっと早く税金から補助が出ていたら、国の負担は軽くなったはず」
 何かにつけて、効率だの公平性だのつまんないことを言う行政の連中は、この事実をどう受け取るんだろうか、とっても知りたいわたしです。
 それにしてもやっぱり湯浅誠は、いい男でした。  

Qちゃんの決心

夏休みに入ってから(バイトが2ヶ月も休みなのだ)だらだら無為にすごしていたら、なんと何ともう八月。予想通りの冷夏? で、過ごしやすいのも手伝ってカバキーニョばっかりぽろぽろしていて、なかなかよた話の更新ができない。いかんいかん、それでなくても思考力が減退しているのに、これ以上思考を停止させたら、本格的なあほになる。とは思っていても、これがなかなかねー、だって、べつにしめきりがルワケじゃないし、読む人がまってる訳じゃないし、だだただ己のつまらん煩悩を垂れ流してるだけなんだからさ、書いたっていいし、書かなくたっていいし、と誠に意欲をそそらない環境にいるのにくわえて、最近富みに世間に対して幻滅していて、政治、経済、カルチャア、全てに対して興味が持てない。くだらない、あまりにくだらなくて、怒る気力もわかないのだ。いっそ自然消滅しちゃおうかなー、なんて、これは冗談だけど、とにかく、やるきのないことはなはだしい。
 ところが、ここにきて、家庭の事情というものが、私のやる気を喚起させてくれている。
 実は私のパートナーのQが、今年の夏おおいなる決意のもとに、23年間も続けていた事務所をしめることになったんだよね。Qの仕事はスタイリストで、昔は、一年中忙しく働いていたんだけど、いまは某住宅メーカーの、カタログなどを作るための撮影に関する仕事しかしてない。って、好んでしてない訳じゃなくて、広告業界が年々縮小していくのに従って、必然的にそうなったんだけど、とにかく、ここ10年くらいは、それでもなんとかやっていけたわけ。だけど、去年くらいから、どんどん仕事が少なくなって、ついに、もう事務所なんか置いておける状態じゃないことが判明したんだよね。だって、事務所を借りている家賃や、その維持費だけで、家の家族は暮らしていけるんじゃないのっていうくらいの金額になるんだから、収入が減ったら一番お金がかかるものから処分するのは常識。とっとととっぱらえばいいのにー、って私は思ってたんだけど、とうのQさんが、なかなかその気にならない。これまでも、何度か決断を迫られたんだけど、その度にチヨット仕事が入ったりして、マッいいかと現状維持をつづけ、まるで綱渡りというより、渡る綱をよろよろしながらまっていると言う、危い均衡状態をかろうじて保つ日々だったのよ。でもねー、こんな事いつまで続けてたって借金は減らないし、第一もったいないじゃない。自営に老後の保障は無いんだから、今のうちに老後に備えて準備しておかなくちゃいかんのよ。「しみじみと我が身をふりかえって感傷に浸ってる余裕なんかないの、さっさと決断しろー」例えパートナーといえども、お互いの考え方には介入しないつもりだったわたしも、ついに優柔不断おとこのお尻に火をつけた。
 「男のロマンだか未練だか知らないけど、どうしても事務所のこしたいんなら、私に愚痴らないでひとりでなんとかしなさい、それが出来なきゃやめる事、第一やめるって思うから寂しいんで、60歳なんだから定年、そのための引っ越しと思えばいいんじゃない? 仕事だってやめる訳じゃないんだから」
 などと、脅したりすかしたり、なんとかその気になるように説得して数週間、とにかく、事務所を引っ越す決断にいたったのでした。(くたびれたぜ ) 
というわけで、事務所を我が家の狭い空間に無理矢理割り込ませる事になったために、いろいろな準備をしなくちゃならなくなり、それがちょいとばかり私にやる気を出させてくれた。
 なにしろ、狭い家の中にものが一杯の状態なので、これをどう処分するのか、そして、事務所の荷物をどのくらいこちらに移動出来るのかを考えると、かなり大胆に発想を変えないといけないわけで、ぼーっとしているQに葉っぱもかけなくちゃなんないし、やる気が無いなんて言ってる場合じゃなくなった。
 なんとか9月いっぱいくらいで、事務所いっぱいのがらくたを片付けられるのか、いや、片付けなくてはー、などと、意気込みだけはすごい、今日この頃です。
 だれか、変な時計とか、つぼとか、役に立たない置物とか、いる人いませんかー

 

リバイバル ビリー隊長

去年、怒濤のように日本中を席巻した、ビリー隊長。あれから、せっかく割れた腹筋が、二度も三度も贅肉で補強されそうなくらい時間がたったしまいましたが、ついに、私の下にも隊長はやってまいりました。
 ていっても、もちろん彼がおさまってるCDを、マユミが手に入れただけなんですけど、やってきたその日から、私の肉体を叱咤激励し続けてくださっております。
 なにしろ、去年のガン騒動がおさまってから、どうせ5年の生存率だし、やりたい事やって、食べたいもん食べて、飲みたいもん飲んで、我慢なんかしてたら時間の無駄ジャー、などと、別にそれまでだって「あんたなんかがまんしてました? 」と、言われるに決まっているような生活態度だったのに、ガンを盾に、皆様の非難の目をかいくぐって参りましたが、気がつけば、その報いに体の真ん中にあるべき、他より細いところ(別名くびれとも言います)が、見事に消滅し、あまつさえ横から見ると出っ張っている、というひどい変わりよう。これには、余命5年と覚悟はしているものの、その5年間をこの体型で過ごすのかと思うと、ちょっとねー、しんどいわけで、しかも、時間を追うごとに、この現象は拡大していくわけで、そうなると、ガンで逝くのか、肥満で逝くのか、どうせ逝くなら人間の形を残したまま惜しまれていきたい、間違っても、周りの方々に「あー、大きな肉塊が消失した」などという記憶を残したくはないなー、なんて人並みな思いが頭をよぎり、というより、バレエのレッスンのたびに、いや、ストレッチをするたびにおなかの肉が前屈の障害になっている現実をなんとかしたい一心で、はじめましたよ、ビリーちゃん。
 はじめてみると、すごいねー。想像以上にヘビーだね、ビリーちゃん。
 私が試みたのは基礎編と腹筋編なんだけど、どちらも、最後には「こんなこと出来ねー」と放り出したくらい、過酷な内容。
 まあね、わたしだって、だてに週5回以上の、バレエレッスンを続けているわけではないので、かなり体力には自信があり、実際、ひとつひとつの動きは、そう大変じゃないんだけど、ワンレッスン約50分の間中、動き続けているって言うところがなかなかきつくて、終わりの方のスクワット、例えば横座りのまま、両足を上げるとか、仰向けから腹筋の力だけで起き上がる動きとかに進むと、「出来ねー」と本気でタオル投げてしまうのでありますよ。って、我ながら情けないんだけど、本当に情けないのはそれから後で、これやって、バレエのレッスンにいったら、もうへろへろで、笑っちゃうほど力がでないのだ。やっぱねー、体力を過信しちゃいけない。それからは、日に二回レッスンがある時はお休みしてんだけど、バレエの先生なんか、「あれやったら1日何も出来なくなる」っていうんだから、わたしだけじゃないんだよ。えっ?じゃあ、去年最初に飛びついた若者達って、あれやりながら仕事してたんでしょ? 以外に体力あるんだよね、とつまんない事に気づいたりした。
 でもね、これってかなりこうかがあって、胃の出っ張りが少し修正されましたよ。まだ1週間もやってないのに……。
と、どうせ暇な私は、下腹部のラインが平坦になるまで、なんとか続けようと思っている次第です。うー、秋には見違えるようなボディになってたりしてー、てなことはないか。と


それでなんなのの参画条令 それがどうした経済センサス ついでに、役に立つのかマニフエスト

それでなんなのの参画条令 それがどうした経済センサス ついでに、役に立つのかマニェスト
 男女共同参画社会を目指す、善良な小平市民の念願だった、小平市男女共同参画条令が、このほどめでたく制定されました。ちゃんちゃん。って、別にちゃかしてる訳じゃないけど、わたしにはこの条令ってやつが、どうもうさんくさくてたまんないんだよね。
 っていうか、誤解を恐れずに言うと、それがなんなの?っていうのが正直な気持ちで、実を言うと「男女共同参画推進委員会実行委員(長過ぎてやだ)実行委員」のわたしなのに、あんまり素直に喜べない。
 だって、わかるの、違うのよ、ってこれ今いちばんきにいらない洗顔石けんのCMだけど、一言で言うとこれなの。どうせこんなもの作ったって、「作りました」ってことが、ゴールになっちゃって、それでおわり。「男女共同参画」について今どんな活動してますか?
なんてことを質問されたって、「あっ、条令ありますからそれに基づいて前向きに善処します」てな事言われてなし崩し。これがあったせいでかえって問題が無視される、なんてことになっちゃうんじゃないの。
 そんなことはない、条令があれば、問題が解決しない事を、条令を盾に追求する事が出来る、という反論が返ってきそうだけど、それだって、罰則がある訳じゃなし、同じく何の罰則も無い労働基準法と同じように、いやいや、労働基準法に比べれば、比較にならないほど知名度が低くて、使い勝手の良くない条令なんか、たとえ違反しても条令が守られてるかどうかじゃなくて、出来たんだって事をどうやって市民に知らせるか?
ってことに躍起になってるだけで、それはなぜかっていうと、とりあえず、それが仕事だからであって、決して条令をしっかり理解して、必要だから知らせたいつてい運じゃない、知らせるための広報活動をどのくらいやったか?
ま、例えば制定を記念したイベントに何人の市民が参加したか、ちらしを何枚出したか、ポスターはどこに貼ったのか、なんて、議会で重箱の隅をつつくのが大好きな、男女平等嫌いの議員に突っ込まれた時のとりあえずのバリケードにしたいだけ、とってもじゃないけど、本気で条令を守っていこうなんて言う気概は無いのだよ。
 なーんてね、どうせ行政のやる事なんか鼻っから信用してないんだから、何を今更、なんだけどねー、広報誌をつくんなきゃなんないのに、記念イベント優先で、大した事無い内容を後生大事につめて、それが仕事とか言ってるから、つい意地悪を言いたくなる。もっとまじめに仕事してよー
 で、話変わるけど最近、総務省統計局が管轄している平成21年経済センサス、なる調査の調査員になった。なんか、突然、やりたくない人がでたらしく、国勢調査の調査員やったら、住宅だの経済だの、やたら血調査員の話がくるようになった。労力のわりには、報酬がいい(一件500円強)からやってるようなものの、なんか行政の手先になってるようであんまり嬉しい仕事じゃない。
 特に今回の経済センサスは、今までのようなランダムに市民対象じゃなくて、個人企業者が対象。それも、ここいらあたりじゃそんな大層な企業も無いから、ほとんとが家族経営で、従業員2人くらいの規模。アンケート用紙の片面くらいしか書くとこないのに、しかも、こんな事を毎年やっていたようで「また?こんなことやってなんになるの」と、かなり評判が悪い。だけじゃなくて、「強制じゃないならやらなくていいんでしょ」と、拒否する店が続出、これじゃアンケートにならんわなー、他人事ながらちと不安になる。しかも、名簿に載っている店の40%くらいは、営業してない、つまり廃業していて、脳天気な私でもしっかり景気の悪さを実感させられた。その上、客の入りの悪そうな飲み屋が相手の時は、やたら機嫌の悪い飲み屋のママに「何しにきたの」がしのこといわれて、思わず【飲みにきたけどやめた」なんて喧嘩売っちゃおうかとおもったくらい、精神衛生上悪い仕事だったよ。
 そもそも、この経済センサスッチユウヤツは、あの悪名高き「いわゆる骨太の方針2005」にのっとった調査だそうで、もしかしたらでてきた数字が、そこらじゅうの規制緩和を正当化する材料になったら大変だ、とおもいながらも、これだけ廃業と非協力的な店がおおければ、馬鹿な政治家も少しは考えるだろうと、今回の結果には期待してんだけど、きっとこれも、数だけ出したらそれで終わっちゃうんだろうね。役人達の仕事を作るために、やらなくてもいい調査して、それでせっかくでてきた事実は無視して、また次の調査を作り出す。国勢調査だって、住宅調査だって、それやった後の数字と、数字がでた事に夜今後の方針と、その行方、って言うの見た事無いもんね。もちろん、なんかあった時の世間が怖いから、キットどっかに発表してんだろうけど、テレビ使って宣伝して期間中は大騒ぎしてる割に、ボルテージは低い、低すぎる。調査にかかった莫大なお金の事を考えると(私に支払われた報酬も) 何の役に立ってんだろうねーと嫌になる。ほんと、もう少しまじめに仕事してよー。
 ついでにぼやくのが、馬鹿の一つ覚えみたいなあれ、マニフェスト。政党が掲げる具体的なビジョンってことだけど、あれ、ちゃんと実行してるのたこと無いもんね、今度のばか騒ぎ選挙でも、お題目みたいに唱えられてるけど、選挙が終わったとたん
「なにそれ?」なんじゃないの?
もう怒るのも疲れたもんね。とにかく、もう少しまじめに仕事してよー。

アメリカ人の実態 グレイズ・アナトミー

 大統領が変わって少し挽回したとはいえ、アメリカ人の評判は相変わらず良くない。とくに、金金かねと、目の色変えて利益を追いかけるアメリカウォール街の人種や、貧乏人から搾取する事を金持ちの特権だと思い込んでるアホな企業家達は、去年の秋の金融大恐慌を引き起こした元凶として、世界中から目の敵にされてるんだけど、終戦直後のアメリカの匂いをしっかりかぎながら育った私としては、こうも嫌われるとさすがにちょっとお気の毒、という気持ちになってくる。
 個人的には、楽観的でお人好しで、困っている人を見ると黙っていられないアメリカ人。とても善良な人たちなのに、いや、それゆえ、一握りの悪辣な政治家や企業家達の口ぐるまにすぐのっちゃう。テロを画策してるのはイラン人だと、馬鹿な大統領が言えば、疑いもしないで信じたあげく、イスラムの人たちの街をミサイルで攻撃するようなひどい事を許してしまう。
世界で一番金持ちの国のはずなのに、ひとたび病気になると、破産してしまうかもしれないスリル満点な保険制度しか持てない事に気づかずに、保険会社の利権を守りたい政治家や企業家にだまされて、それでも自由を束縛する共産主義よりはましと本気で信じちゃう。(いったいどこまでだまされたら気がつくんだー)
いろんな事を聞けば聞くほど、アメリカ人じゃなくてよかったーと思っちゃうアメリカだけど、それでも彼らが作り出す映画や、ドラマを見ていると、自国の中に渦巻く矛盾と、怒りと悲しみと憂鬱がとても正直に描かれていて、そういうとこ、結構すき、なんですよねー。
 で、今とても気に入っているのが「グレイズ・アナトミー」
グレイズ総合病院の中で働くインターン達と、それを取り巻く医者看護士、患者の様々な生態を描く、医学ドキュメント、って言うのは嘘だけど、見ていると、多少の誇張はあるかもしれないけど、画面に現れる人たちは、とてもリアルで卒直で、作り物の枠にはまりきらない魅力がある。
 主人公のメレディスは、伝説的な外科医だった母をもち、今その母は認知症で施設に入っている。インターンになったばかりのとき、彼女は同じ病院の医師デレクと恋をするが、彼は実は妻帯者。それでもいいと突っ走ろうとしたけど、妻はやっぱり同じ病院の産科の医師で、別れる気はさらさらない。
 メレディスの家の押し掛け下宿人イジーは、金髪でモデル級の美人。その美貌を活用して学費かせぎのアルバイトは、下着モデル。でも人格的には至極真っ当で、出演者の中では一番常識的な価値観を持つ、つまり善良な女の子。イースターには卵を飾り、クリスマスともなれば徹夜ででっかいツリーに挑戦する。まあ、私にはちょっとうっとうしいけど、世の中はこういう人たちのおかげで円滑に回っているんだなーと、ある種のあきらめを持って許してしまう人種だ。
 あきらめるという事では、これは彼にとっての永遠のテーマだなと思わせるのがメレディス家のもう一人の下宿人、ジョージ。アイリッシュのトラック運転手一家のなかで、唯一インテリであり男っぽくない、早い話が浮いた存在で育った彼は、いつも他人を優先してしまう心優しい男の子。内省的な性格のせいか「ゲイ?」と思われる事も多いけど、実はしっかりストレートで(でも噂によるとゲイらしい)、妻あるデレクをあきらめきれないメレディスを、あきらめきれずに、彼女の恋の行方に違う意味で一喜一憂しているという、結構屈折した恋愛を体験中。
 そして、メレディスの親友クリスティーナ。韓国系アメリカ人、完全無欠の無神論者。医学を科学と信じ、情緒的なものはいっさい信用しない。だからイジーや、恋人のバークが真剣にクリスマスを迎えようとする精神についていけない、「私に限ってありえない だって神様なんて見た事ないもん」とあくまでも冷たい。実は、わたしはヒロインのメレディスよりも、この意固地なクリスティナが好きなのだ。そりゃ、メレディスは、ぼけたとはいえ伝説的な名外科医の娘で、美人で、優秀で、性格だって悪くない、例によって、神の恵みって公平じゃない感いっぱいの子だから、ほれちゃいけない男に恋をすれば、悪いのは男だし、さらにそんなチャンスをメレディスに与えた男の妻が、浮気したくせにまだあなたを愛してる、なんて言っちゃって、男を自由にしてやらない妻が悪い。なんのかんのいったって、やっぱりメレディスは被害者として優遇される事になる。それに比べて、クリスティナは、医者としてはメレディスに負けないくらい優秀だけど、ほかは? 顔は美しくない、いやはっきりいって○ス。性格は、これはもう筋金入りのひねくれ者。幸せそうに浮かれているやつに、彼女の前でそんな顔をした事を思いっきり後悔させてくれるきつーいお言葉を放つ名人。事故で指を切断したギタリストが、本気で直したいなら禁煙しなけりゃだめだ、といわれ、それでもやめられないでいると「吸おうが吸うまいが私には関係ないから、おすきにどうぞ」とにこりともしない。それでいて「このまま指がなくなって、何年かたって、汚いバーのカウンターで昔はいいギタリストだった、なんて自慢してたくない。だけど、今朝吸った一本は、これが最後だって思った一本じゃなかった」なんぞとのたまう患者のために、最後の一本を調達してやる。
 なんにしても、クリスティは、嫌われる要素だったら山ほどあるくせに、それを一瞬で忘れさせてくれるものを僅かに持っていて、そのわずかな何かを見つけた選ばれたものたちにとっては、ひどく魅力的な女なのだ。(タデ食う虫も好きずきとも言う)
 そんなクリスティナが一番嫌うものは、神と恋。神は信じていないからであり、恋は理屈で割り切れないから。恋愛感情のこもっていないセックスはオーケー。体が欲求している、至極正当な生殖本能だから。でも恋愛は、訳わかんない。
好きだからってそれがなに?  立場がまずくなるのにデレクに入れあげるメレディスを馬鹿だと思っていた。が、しょうがないねー、クリスティナも恋をした。メレディスと同じ、上司の外科医バーク。優秀で、えらそうで、当たり前の事に憧れていて、黒人のバークを好きになっちゃった。そして、クリスティナは、そのことが憂鬱なのだ。
 そうだよね、よくわかる、だって、彼女にとっては一番かっこわるい事だもの。冷静で、皮肉っぽくて、客観的で、物事の外側にスタンスを置いている彼女には、こんな訳のわからない感情を誰かに見せるのは、かっこわるい。だから、妊娠した時も(医者なのに避妊しないのか)みっともなくて、そんなといえない。結局子宮外妊娠で倒れて病院中にしられることになった。でも、それがけがの功名か、バークはクリスティナとの中を上司に告白、晴れて恋人同士。というところで次につづくんだけど、バークに愛の告白をされても、100%嬉しくないクリスティナの、釈然としない顔つきが、何とも言えずリアルで、クリスティナ役のサンドラ・オーの演技、私にとってはとても魅力的だった。
 他にも、インターンに恐れられている超優秀な女性外科医ベイリーや、憎まれ口ばかりきいているアレックスと、ユニークなキャラクター満載のこのドラマ。
 アメリカ人だって、少しはものも考えるし、みんながみんな楽天家とは限らない、憂鬱で、繊細で、独りよがりなアメリカ人の標本を見ているようで、先が楽しみなんだよねー。

カバキーニョ

ってなんとなく、夏になるとラーメン屋の壁板に現れる「冷やし中華はじめました」のお知らせみたいだけど、以前からやってみたいなー、と思っていたカバキーニョ、はじめました(季節限定ではありませんよ)
 で、カバキーニョって、いったいなんだ?と思われる皆様にちょっとレクチャーいたしますと、ジャンルとしては楽器。それも、ピアノとか、バイオリンとかといった、殆どの人が知ってる、もしくは見たことある、さらに絞って弾いた事があるという、多数派の楽器ではなく、まず楽器という事も知らない人の方が多い少数派の民族楽器でありまして、生まれはブラジル。イメージとしては、ウクレレで、あれくらいの大きさで、でも弦がスチールなので、ウクレレの、ナントなーく緩い感じの音と違って、こちらは硬くて澄んでる。その澄んだ音で奏でるショーロの美しい旋律は、もううっとりとするほど感動的。
 弦を弓でこするのと違って、指やピックではじく奏法は、音が小さくて響きが少ないけれど、その分繊細な音の響きが何とも官能的。とくにカバキーニョはささやくような弦の響きに加えて、スチールの持つ力強さを併せ持っていて、つまり、とても魅力的な楽器なのですよ。
 そのカバキーニョを、なんでやろうと思ったかと言うと、長い事続けてきたライブ通いの中で、「聞くのもいいけど、弾くのもいい」って思いが強くなってきたからなんだよね。
 だって、小さなライブハウスなんかで、ミュージシャンがセッションしてるのなんか聞いてると、なんかものすごく楽しそうで、あー、自分もあんな風にみんなと楽器でコミュニケーションしてみたい、という気持ちが強くなってくるんだよね。もちろん、プロになるなんて事は夢のまた夢だけど、せめて誰かのお情けで、私の弾く旋律に伴奏などを付けて弾いてくださる、なんてことが実現したら、これはもううきうきもんですよ。と、無性に、こっちよりあっちがいいと言う、幼児性無い物ねだり症候群が嵩じてしまったのだ。
 そこで、何かいい楽器はないかいなと目をつけたのがカバキーニョ。
ファーメイのライブにも何回か出てくれた、ショーロバンドの「ホーザホーシャ」の演奏を聴きながら、その中で美しいメロディーを担当している小さな弦楽器。値段もリーズナブルだし、小さくて場所もとらないし、ネックが細くて短いから、手の小さい私にも楽そう。第一、日本でも指折りのカバキーニョ奏者、だいどうじさかえ、通称だいちゃんがプライベートレッスンしてくれるって言うんだから、これは一丁挑戦してみましょうか、ということになったんだよねー。
 さて、私の長所であり、短所でもあるのが思ったらすぐやっちゃう事、やりたいと思う事をやらないでぐずぐずしてるのは無駄だから、カバキーニョもすぐに買いました。47000円の普及型。で、これもってさっそく大ちゃんに教えてもらうことになったんだけど、最初はなかなかうまく行かない。なにしろ、楽器はピアノしかやった事がないからね、鍵盤たたけば出したい音が出せるピアノと違って、弦楽器は音を探さなくちゃなんないから、まずその技術を身につけなければならず、左手で弦を押さえ、右手で弦をはじく作業に慣れるまでが大変で、一時はどうなるものかと思ったけど、意地になって練習したせいか、最近はなんとなーく感じがわかってきた。曲だって一曲マスターしたよ。「カリニョーゾ」という、ビジンギーニャ作曲の美しい曲で、ブラジルで一番有名な曲なんだって。
 この曲を大ちゃんに伴奏してもらって、弾いたんだけど、これが何ともいい気分で、ちょっとはまってしまいました。ただいま二曲めのワルツにはいっておりますが、次のレッスンでどんな合奏ができるか、今から楽しみなのであります。
 ところで、カバキーニョ、っていうか初めての弦楽器体験で気がついたんだけど、弦楽器の音の出し方って、すごく合理的と言うか、省エネ的なんだよね。
 ピアノの音階に慣れていたわたしにとって、ドレミファソラシドは、左から右に順番に並んでいるものなんだけど、ネックの長さに限界がある弦楽器は、数本の弦を使って、長い音階を作っているんだよね。つまり、一線上に最大88の音が並ぶ代わりに、その何分の一の長さの中に、何本かの弦を張ってその中で四オクターブ以上の音を埋蔵している。ピアノは、ひとつの音はひとつの場所にしかないけれど、弦楽器の場合は、ひとつの音が二つの場所にある。つまり、一弦のオクターブ上のドは、二弦の最初のドにあって、曲の流れの中で指を使いやすい方のドをつかう。早い話が、どの場所を選ぶかは、その時の状況次第で、弾く側に選択権があるんだよね。そのために、ギターとかカバキーニョみたいに弓を使わない楽器には、普通の譜面と一緒に指たぶ譜というものがあって、それを読むと、弦の上をどんな指使いで進んでいけば一番最短距離の移動で曲が弾けるかがわかるようになっているんだよね。
 最初はちょっと面食らうんだけど、だんだん慣れてくると、もう楽譜よりタブ譜の方が頼りになってきて、この手の楽器の効率性に感心させられる。
 絶対にこの音はここにしかないって訳じゃなくて、ちょっと視点を変えれば、すぐ近くに同じ音があったりするから、オクターブ上の音でも頑張って指をのばしたりしなくても、ひとつ上の弦のチヨット右あたりに欲しいが見つけられる。
小さな手を精一杯伸ばしても届かない音のはこびに苦労するピアノに比べると、なんて優しくて、融通の利く楽器なんだろうと思う。
 でもこれって、ある意味欧米の文化の特徴かもしれないよね。遠くのものを目指すんじゃなくて、視点を変えて同じ価値のものを近くで見つける、音は無限に並んでいる訳じゃなくて、高さをずらして何本か並べておけば、どこかに欲しい音が、それもいくつかあるしどれを使うかは使う側の自由だ。だから、ものの価値は絶対ではなく、状況に応じて変化していく。その事を受け入れられる柔軟な考え方が、国と国とがくっついているヨーロッパ諸国が、お互いに侵し合わずに生きていく知恵、だったんじゃないのかなー。
 なーんて、ちょっとへりくつかもしれないけど、日本の代表的弦楽器である三味線が、どんどん音を足していって、あんなにネックが長くなっているのを見ると、他国と接する必要のなかった日本人が、楽器の上でも一直線に突き進んできたのかな? 何ぞと思ってしまうんだよね。
 まあ、今の欧米が、全くそんな自由な価値観を持ち合わせているかって言うと、それもイエスじゃないけど、少なくとも、あちらの弦楽器って、そりゃもう、よくできてるなー、と感心している今日この頃です。
 それにしても、カバキーニョは面白い。そのうち聞かせてあげるからネーン

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