2011は?

イヤー,今年もいよいよ押し詰まってきましたねー。私も今年は62歳になって、ちったー分別と言うもんが付いたろうとおもいきや、相手が強いと突っかかり,説教臭いと無視を通し、若い男の子ににやにやし、と相変わらず情けない。情けないついでに年末になって,膀胱がん再発、「小さいおできみたいなもんだから消えちゃうんじゃないの?」と、医者からするとなんと不見識と言わんばかりの抵抗も虚しく、ガンハンター、たんぼちゃんの内視鏡付き電気メスにより、1月末には消去される事になりました。
 ま、なれた事とはいえ、やっぱり精神に応えたらしく、心電図に、なんと不整脈、なんて物が現れ、わたしも人並みに再発でショック、だったんだなと感心したり、感動したり、何ともはや情けない。
 それはさておき、今年一年、ライブを4回、衝動的講演会1回と、けっこう活動したんじゃないでしょうか、なかでも初めての「連弾コンサート」と、敬愛する暉峻淑子さんの講演会は、いろんな意味で感慨深い物になった。
 ベートーベン コリオラン 交響曲7番 リスト 交響詩「前奏曲」ヒンデミット「画家(ガガじゃない)マチス」知った人が聞いたら、なんと無謀な消化不良おこしそうなプログラムを、タンゴピアニストの熊田洋とクラシックの湯田亜希が、初の連弾演奏。
 最初のうちはいいんじゃないのと思っていたけど、忙しい二人がやりくりした練習につき合う度に、「……」だんだん「…………」だったわたし。でも二人ともプロなんだから、本番は仕上げてくれるはず、と願いをこめてた、当日。すごい、ちゃんと仕上がっておりました。心配した私が身の程知らず、だったんでしょうね。 でも、おわったー、こわかったー。
 
「豊かさの条件」の著者、暉峻淑子さんの講演会、期待通りの内容だった。マイクを持ち、立ったまま1時間半シャベリッぱなし。83歳という年齢から考えると、正に驚異的。もちろん話の内容も驚異的で、こんなに大変なことが起こっているのに「闘わない」日本人が理解出来ない。おかしいと思ったら、変だと思ったら、自分の言葉でそれを言わなくてはいけないそうしなければ、事実がすべて真実になってしまう。間違った真実はファッショを作り出す。あの戦争のように……。
 話の要所要所に「闘わなくては」と力強く語りかける暉峻さんは、とてもエネルギッシュで頼もしい。大震災の時、文句も言わず静かに順番を待つ東北の人々を、マスコミは妙に持ち上げた。まるでそうする事が民度の高さを表しているかのような報道の仕方だったけど、どうしてもっと言うべきことを言わなかったのだろう、毛布がたりない、食べ物が足りない、寒い、暑い、そんなにわがままな事だったんだろうか。そりゃ被災直後は、交通も分断されて物資も届かなかったから、多少の我慢はしょうがないとしても、1月たっても2月たっても、足りないものがあった。先進国であり、国民の生活レベルも高い日本なのだから、当然全国から救援物資が山のように届いて、文房具なんか地元の文房具店がやっていけない程の量が届いていたのに。女川では、毎日の食事が明太子のおにぎりだけだった。支給された寝具は、保育園にあったもので、大人には小さすぎた。
 必要な物が必要なところに届かない、それは行政の怠慢であり、能力がないということなのだ。被災した人たちは、税金を払っている納税者、行政にとっては客でありクライアントなのである。もしも、買った品物に不備があったら、手にいれた住宅に欠陥があったらどうするか。もちろん文句言うよね、正当な権利として改善を要求するよね、だから、今からでも遅くない、もっとちゃんと,文句言って。福島に住んでるから放射能の事なんか聞けない、なんていわないで、当事者が言わなくてどうするんだ。応援するよ、もっと怒ってよ、東北の人。
 暉峻さんの話を聞きながら、様々な疑問の火種がくすぶって来るような気がした。しまいにゃ発火するぞー。

と、あいかわらず過激に行きたい笹尾さんですが、2012年、どのようなとしになるややらー。とりあえず,1/15日3時から中央公民館で、10回目のタンゴコンサートがあります。ので、どうぞよろしく。



暉峻さん

暉峻淑子さん、とてもルビなしでは読めない,「てるおかさん」の名前を初めて見たのは、新聞だった。かなり昔の事なので良く覚えていないのだが、たしか若い人たちの働き方についてだったと思う。フリーターやアルバイトなどの非正規社員の扱われ方,労働法を無視した企業のやり方に怒り、労働基準法をよく知って、労働者も企業と対等にならなければ格差社会がどんどん広がる、と、とてもわかりやすい言葉で書いていた記事の書き手が暉峻さんだった。
大学教授と言ういかめしい肩書きに似合わない、フランクな語り口が、読者と同じ目線で社会を見ている親近感を感じさせて、とかくこういう職業の人たちにありがちな 私話す人、あなた聞く人的なよそよそしさのない、面白い記事だった。
 次に暉峻さんの名前を見たのは、やっぱり新聞記事だった。
 去年起きた、大阪での痛ましい2児放置死事件へのコメントを求められて、「もし私がいつまでもやまない子どもの泣き声を聞いたら、ベランダを伝ってバットで窓を割って中に入ります。子どもを連れて自宅でご飯を食べさせ、体をきれいにしてからどこかに連絡しようと思う」と、そんへんのコメンテーターにはとても言えない、正直で共感出来る話の後に、人間は「関係」の中でしか存在できません。だが今の日本では不介入が美徳になっている。関係を敬遠し、格差によって社会が二つに分かれると,社会全体で助け合いの同意が出来ない。自分は非正規雇用じゃなくてよかったと傍観者を決め込んで,我が子が非正気になって初めて愕然とする。年金で騒いだのも自分のもらう分が減るから。損得だけ,お金との関係だけで考えてないでしょうか。
 「こんなことでどうするの」今軌道修正しなけりゃたいへんなんだから という怒りとあせりを含んだような、強い思いが、私の方を揺さぶるような熱い言葉をぶつけられ、そのひのうちに暉峻さんの著書「豊かさの条件」を読んだ。
 本当に豊かに暮らすためには、何が大切か、何が必要か、一番先にやらなくてはならないないのはなんなのか、を、自分なりに考えて生きていく事。
当たり前の様で、当たり前でなくなりつつあることが、いきいきとした言葉で、私の胸にぐんぐん入り込んできた。さすが、行動する学者はすごい。
 暉峻さんは今83歳だ。でも電話で話した印象は凄く若い! なんて言うと失礼だが,完全にイニシアチブは暉峻さんの物で、わたしはただ不甲斐なくあい槌を打つだけだった。
 そして、2/17 小平の中央公民館で、暉峻さんの講演会を開きます。こんな機械はなかなかありませんよ,是非暉峻さんの話を聞き、分からない事はじゃんじゃん質問しましょう。


小平で活動している「インドな人口問題を考える会」の主催で 暉峻淑子さんの講演会を開きます。情報ページに掲載して頂けるとうれしいです。
日時12/17 18時開場18時30分開演
場所 小平市中央公民館ホール 042-341-0861 0931431001@jcom.home.ne.jp
参加費 500円
問い合わせ 042-308-0903笹尾 暉峻淑子プロフィール
日本が本当に「豊か」になるための卓見をもち、提言する経済学者。1928年大阪府生まれ。日本女子大学文学部卒業後、法政大学大学院理論経済学博士課程修了。経済学博士。1975年には、埼玉大学教育学部教授となり現在は名誉教授。専攻分野は生活経済論、理論経済学。

■職歴・経歴
大学卒業後、東京大学・東畑精一研究室の助手となるも、社会を理解するには経済学の勉強が必要であることを痛感し、法政大学の経済学部3年に編入学する。更には大学院・博士課程で理論経済学を専攻し修了。
以来、鶴見女子大学、埼玉大学で教壇に立ち、教授を経て現在は名誉教授。退官後、日本女子大学人間社会学部教授、東京経済大学講師。理論経済学会・消費経済学会・緑の文明学会に所属する一方、いくつかの自治体で中期計画作成、社会福祉、女性問題、消費者問題などの委員を務める。加えて、子どもと教科書ネット 21代表、ベルリン自由大学・ウイーン大学の客員教授。
著書『豊かさとは何か』によって「豊かさ」というキーワードを社会に広める。また、わが国のたいがい援助について研究するため難民・貧困者援助活動に従事している。

■講演内容
“生活者とは何か”“21世紀の子ども達に何を残すか”“生活者の暮らしを最優先せよ”“福祉国家が共通の目標”などのテーマをもつ。

■著書

「豊かさの条件」
「格差社会」
「サンタクロースってほんとにいるの」

『豊かさとは何か』
『ゆとり経済』
『生活経済論』
『公共サービスと国民生活』
『戦後ドイツの光と影』
『いま教育を問う』などがある

音楽のある時間

音のある時間
恒例のクラシックデュオ、今年も無事に終わりました。って、何時のまにか随分時間が経ってしまいました。あいかわらずやる気のでない私で申し訳ないのですが、コレも老化のなせる技、自然の摂理には逆らえませんのー ほほほ。
 さて、今年のクラシックの目玉はベートーベンとブロッホ、そしてチェコのヤナーチェクにロシアのショスタコービッチの凄く演歌っぽいワルツ、ついでに作曲者は忘れたけれど(プログラム持ってる人教えてください)、何とも不気味で悪意に満ちたポルカ,アンコールには熊田サンが大好きなシューベルトと、相変わらず、多彩でユニークな名曲が演奏された。
 会場は、いつもの公民館ではなく、小川にある小さなスタジオで、26名のお客さんでいっぱいになり、例年、広い公民館にぱらぱらっとした観客に慣れていた、熊田、近藤両氏、なかなか満足そうだった、と思う。
やっぱりねー、同じくらいの数でも広くてガラガラよりぎゅうぎゅう感があった方がいいもんね、木は心ですよ。
 お客さんの反応はというと、コレが意外にも、目玉よりブロッホの方が印象に残ったらしい。「うるっときました」とか、全曲聞けてうれしかったとか、嬉しい感想が。
 確かに、ヘブライ組曲は、何かエキゾチックで、あのまるっこい、ベーグルみたいなユダヤの帽子被った男共が祈りを捧げる、教会(シナーゴクっていうんだって)の情景が浮かんで来るような曲だけど、知ってる人は少ないよねー、それをあえてプログラムにいれる熊田サンもコアだけど、聞きに来る人たちも、やっぱりちょっと変わってる。でも、物事変わってる方が変わってないより数段良いから、この傾向が続いてくれるといいな、などとおもいました。
 それにしても、音楽って、ほんといいですよねー、って淀川長治みたいだけど、いろんな音楽家が残してくれた旋律を聴きながら、この世の中の音楽と言う存在に今更ながら感謝してしまう。
管に穴をあけたり、糸を強くはったり、様々な物をたたいたり、人間は誰に教えられた訳でもない、音を作ると言う作業を遥か昔、紀元前から続けてきた。音は沢山の天才達の間で、育てられ、愛され、様々な旋律を編み、数えられない程多くの感動と安らぎを人々に与えてきた。その素晴らしい音楽をこんなにも身近に、簡単に聞くことが出来る幸せを私たちは、もっと大切にしなければいけないんだろう。コレから死ぬまでに、どれだけの音楽を聴くことができるのか、いや、死ぬまで音楽を楽しめる社会が続きますように、日本やその他の国々の上に立ちこめる暗雲が、音楽の響きを覆い隠してしまわない様に願う。美しい物に触れると、人間ちょっと善良になるのか、へそ曲がりの私が珍しく真摯に見つめた、音楽のある時間だった。
 

大地の牛

ずいぶん時間が経ってしまったけど、珍しく感動した写真をみた。放射能のために誰もいなくなってしまった福島の山野を疾走している7頭の牛の写真だ。
 土煙を上げて走る牛達は、みんな黒い毛に覆われた、あきらかに食肉用のそれで、異様に肉が好きな日本人たちが嬉しそうに食べまくる、黒部和牛さん達だ。
美味しい物を、もとい牛達にとって美味しくないかもしれないけど、美味しい肉になるための食べ物をたっぷり与えられて、運動はさせず、暑くもなく寒くもない、快適?なすまいのなかで四季の美しさを感じるのでもなく、水気を含んだ草を頬張ることもなく,ただただ湿った牛舎で殺されるのを待つ,もう書いているだけでコレからは肉は食わんぞ,と思ってしまうような、牛達の悲惨な運命。
そんな彼らの運命が、3.11の大震災で大きく変わった。
信じられない程の、高い高い水の壁が、海沿いの町を呑込んで辺り一面をさら地にした。人々は高台に逃げ、沢山の人が逃げ切れなかった。水が引いた後、無事を確かめ合う人たちの上に、放射性物質がふりそそいだ。地震も津波も、みんな自然が起した天災だけど、コレは違う。人間が作った原子力発電所が起した人災だ。
 
地震にやられ、津波にやられ、その上放射能に汚染された人々は町をはなれ、そして牛達は取り残された。
 大震災以来、いろんなことが言われてきた。特に原発に付いては、コレがなくてはやっていけないと、停電をたてになんとか原発再開に持っていこうとする東電と、それに群がる官僚達の抵抗があからさまになり、風評被害を怖れた被災地は、自分たちが被害者なのにもかかわらず、放射能汚染等、気にする事はない、と避難する人を非難し、子どもへの影響を心配する母親の口を無言の圧力で閉ざさせる。被災地だけではない、自分たちの周りに放射性物質を近づけまいとあからさまな拒否反応を示す。原発のメリットは、十分受けていたはずの被災地以外の日本中で、汚い物は被災地においておけ、という。汚染してしまったら最後、元に戻るにはとんでもなく長い時間がかかる、絶望的な物質を、どう処分したら良いのかを、考えようともせず、渦中に置かれている被災者の苦悩も了見にいれず、ただただ自分たちに見えないところ、忘れた振りが出来るところに押しやろうとする。
人間がそんなにも、怖れる汚染された町を、牛達は疾走する。彼らは、おそらく、初めて土の上を走り、自然に生えた草を食べ、流れる水を飲んだのだろう。牛にとっては迷惑な過剰な栄養食のおかげで身に付いた脂身はもうどこにもない。
牛達にとって、天災によって放射能に汚染されたこの地は、少なくとも震災前の彼らの寿命より長い時間を与えてくれたのだ。何とも皮肉な話だが、自然の営みに逆らって便利と快適を手にしても、結局は自然の力でリセットされてしまう。
自然によって大地の上に戻された牛達を見ていると、あるべきところにある生き物達の喜びを感じてしまうのは、私だけなのだろうか。

楽屋のライブ

楽屋のライブ

8/2 東京のチベット、小平から遠く離れた中目黒は、中目黒銀座にある、おしゃれなライブハウス、「楽屋」がくやじゃないよ、らくやだよ。にて、行われました。タンゴライブ、無事おわりました。
 年に一回小平で、私めが言い出しっぺになってひらかれている、ファーメイタンゴコンサートのメンバーが初めて都心で演奏する記念すべきライブでございます。バンド名も「ジャノタンゴ」、これはヴァイオリンの近藤さんが、ジャノは平とか落ち着いたと言う意味なので、小平にちなんでと着けました。まー、そう若いとは言えないメンバーの年齢と、どちらかと言うと、渋さ溢れるキャラを考えると結構なネーミングではないかと、近藤さんのセンスに脱帽。っていうより、スペイン語は全くアカンので(ほかの外国語が大丈夫と言う訳ではない)私としてはなにがきてもオーケーだったのですが……。なにはともあれ、小平ではおなじみの4人のタンゴが都心に流失する事になったのでした。
 そもそも、なんでわたしが中目黒でジャノタンゴを、と思ったかというと、実はファーメイタンゴコンサートが次のかいで、10回目、つまり10年も続いたんだよね。1年1回としても10年、コレはちょっとした記録かな、なんて思っちゃいまして、記念に何かひとつと考えたのが楽屋のライブだったんですよ。まーね、10年なんて大した事ないかもしれないけど、昔は10年一昔っていったんだから、やっぱ長いよね。ファーメイ始めたときも、せめて10年やんなきゃみっともない、なんぞと勝手なプレッシャー自分に掛けたりしたもんだけど、これでもう何時やめても良いもんねー。あとはおつりと思って気楽にやらせていただきます。
なんて、思ってたんだけど、楽屋の素晴らしいミキシングできいた、ジャノタンゴ、すっごくいい音で、あー、コレを小平の人たちにも聞かせたい、とまたまたやる気に火が着いてしまいました。
 というわけで、2012年1月15日の午後、今年からジャノタンゴになった,4人が熱い演奏を聴かせてくれます。
あっそのまえに、10/2 12/10と、クラシックコンサートが続きます。こちらの方もどうぞよろしく。詳細はホームページトップにて。

長生きの秘訣

長生きの秘訣

近所の猫仲間のおばさんと、ちょっと立ち話。
「この間、お婆ちゃんがたいへんだったのよ」
「おめでとう、死んだか?」
「死ななかったんだけど、夜中に血糖値が下がりすぎちゃって、もう全然意識が戻んなくてさー、もうダメかと思って救急車呼んで昭和病院にいったら、点滴打って、しばらくしたら持ち直しちゃって、3週間入院したけど、すっかり治って昨日退院よ。看護士が3週間も寝てたから足が弱ってんじゃないかって心配したんだけど、ぐらっともしないですたすた歩いちゃって、すごいわよねー」
 このばーちゃん88歳で、重症の糖尿患者にも関わらず、凄く元気で、嫁さんの目を盗んでは、近くのコンビニに食料の買い出しに行く。兎に角糖尿だから、いくら食べても盗はどんどんおしっこに出ていって、体の方に回らない。だから、太り過ぎで糖尿になっても大丈夫、末期になればドドン痩せてくる。痩せるのは嬉しいけど、血流もどんどん悪くなるから、心臓、腎臓、膵臓と、体中の臓器が少しずつ衰えて、今では糖分をとり続けてないと低血糖で意識がなくなっちゃう。起きてるうちは良いけど寝ちゃうともう意識は飛んで、殆どあちらの世界に行っちゃうらしい。
脳を調べれば、殆どが白くなっていて、完全に認知症。自分の息子に「どちらさま」と質問する、御定まりの認知症のコースの先端にいる。のに、なんでだか元気、よく食べ、よく出し、嫁さんを悩ませている。
 それにしても、ホントならとっくに逝っちゃっても良い状態なのに、なんでそんなに元気なんだろうね。ってQちゃんにいったら
「そりゃ頭つかってないからだよ、僕なんか色々悩む事が一杯で、もうだめ」と嬉しそうに応える。
「脳が殆ど機能してないんだもんね、忘れるって言うよりか,それすら考えないんだから、ストレスなんてないもんね」
「忘れるって、人間にとって素晴らしい才能だからね、全部おぼえてたら、気ー狂っちゃうよ」
「それで年とるとどんどん忘れんのか」
「わすれるわすれる、都合の悪い事は全てもやの中。忘れれば忘れるほど人間は幸せだー」
確かにねー、もうダメ、なんて弱った振りしてるQちやんですが、コレと言ってとりえはございませんが、忘れると言う事については凄い才能の持ち主で、人の名前も、昔の事も、猫の名前も、彼にとってどうでも良い事は片っ端から忘れる。覚えているのは好きな映画の監督と俳優、カレーの作り方、お酒の減り具合い、ま、事務所の場所や電車の乗り方は覚えてるから、認知症ではないんだろうが、彼の海馬が、とても選り好みの激しいタイプらしいのは確かだろう。が、そこにどんな基準が在るのかは、28年一緒にいる私にも分からない。なんにしても、元気な糖尿のバーちゃんと同じように、脳を酷使していないQちゃん、長生きするんだろうなー。
 


ビバ デ・シーカ

ミラノの奇跡
何十年か振りで、「ミラノの奇跡」をみた。イタリーの巨匠ピットリオ・デシーカが、1951年、なんと私が二歳のときに作った映画だ。
 初めて見た時、私は中学生。友達のいない淋しい女の子は、毎日いそいそと学校から帰り、誰もいない家で、「三井奥様劇場」を見るのが楽しみだった。
 それは、オリジナルの番組なんか作る金も、ノウハウもなかった生まれたての民放が、なんとか昼間の時間を埋めるために、古い外国映画を利用して、多分、版権なんて言う面倒な事はまた゜存在していなかったか、中国と同じで、当時の日本にはそんなこと在っても無かったのか、とにかく、わたしにとって初めて経験する、感動の名画が毎日こともなげに放映されていた、素晴らしい番組だった。
 「死刑台のエレベーター」「地下鉄のザジ」「恋人達」洗練された映像と役者達、陶酔する音楽、わたしの生涯を通して、一番瑞々しかった大脳にしみ込んでいった、ルイ・マルの映画。天才的なステップと、人間とは思えないフットワークで、見る物を魅了するフレッド・アステアの、ミュージカル映画「ダンシング・ザ・ダーク」「イースターパレード」。
 どれも美しく、おしゃれで、現実を忘れさせてくれる正にめくるめく映像の世界だった。が、ある日、それまでの夢のような映像とは違う、汚くて、野暮で、でもとてつもなく力強い映画をみた。日本と同じ戦争に負けたイタリアの映画だった。
 労働闘争の中でおこったスト破りの悲劇を描いた「鉄道員』、貧しいもの同士が生きるために犯すささいなことが人々の人生を変えてしまう「自転車泥棒」、夜が明けるまでに屋根を作らなければ家が手に入らない、幸せを手に入れるためにたくましく生きる戦後のイタリア国民を象徴するような「屋根」、うっとりと見ていた映画とは違う、厳しく、強く、ドラマチックなイタリア映画。
 当時かなりプロレタリアに被れていた私は、この生々しい社会派の映画達の虜になっていった。
 なかでも「ミラノの奇跡」は、現実的なイタリア映画の中では、ちょっと変わったファンタジックな作品で、その余りにも善良な人の心は、物事を斜めからしか見ないようなひねこびた中学生にも、感動的で、圧倒的な、衝撃を与えた。
 映画は貧しい老婆が、キャベツ畑の中で男の赤ちゃんを拾うところから始まる。
 こどもはトトと名付けられ大切に育てられた。その後老婆は死に、トトは孤児院で青年になるが、優しい老婆の心を受けて、人の気持ちを思いやる優しさで、出会う人々を幸せにしていく。
 家の無い仲間のために、みんなで力を合わせて掘建て小屋の団地を作り、楽しく暮らしていたが、金持ちたちは石油が出るその土地が欲しくてたまらない、力づくでみんなを追い出そうとする。可愛いトトを心配して天国から願いが叶う鳩を盗んで来た老婆のおかげで、金持ちたちの攻撃をかわすトト達。しかし、たのみの鳩を天国から追ってきた天使にとられてしまう。警官に連れて行かれたトト達の運命やいかに。
 とまあ、現実と非現実がないまぜになったようなおとぎ話なんだけど、感動的なのはそこに描かれたピュアな気持ち。例えば、まだこどもだったトトが、ママ(老婆)の帰りを待っていると鍋が吹いて、汁が絨毯に流れ落ちてしまう。それを見たママは、おもちゃの箱を取り出して、汁のまわりに並べて、まるで川のほとりに家が建っているような風景を作り上げて、トトを喜ばせるのだ、なんと言う優しさ、愛情の深さに、思わず涙が流れた。何千何万の言葉より、この数分の映像に、本当の優しさを見せつけられた。
 さて、トト達はそれからどうなったか、恋人に鳩を取り返してもらったトトは、閉じ込められていた馬車を止め、広場に降り立つと仲間に「ほうきを持って」と叫んだ。そして恋人と一緒にほうきにまたがり、空高く飛び上がったのだ。もちろん仲間たちもほうきに乗って次々と飛び立っていく。ミラノの青い空に、ほうきにまたがったトト達が、「いざ幸せの国をめざして」飛び立ったったのだ。もう、ほんと、デ・シーカ万歳の、素晴らしい映画、皆さん是非チャンスが在ったらみてくださいませ。

経済の原則

ゆっけによる食中毒、大変な事になってるねー.以前大騒動になったo157に負けるとも劣らない驚異で、世の焼き肉続達を震撼させているみたいだけど、私に言わせりゃ、よりにもよって生肉なんか食べるからこんなことになるんだよ。
 だって、賞味期限だ消費期限だ、やれ中国が危ないだ、放射性物質が怖いだの、寄ると触るとそんな話して、ヤバくもないだ物まで追いやってるくらい、ばかばかしくもご清潔な皆様が、なんで生肉なんて食うのかねー。しかも、年寄りや子どもみたいに体力のない人間が、なま肉? 昔のお母さんなら、「とんてもない、子どもになま肉何か食べさせるのは非常識」って怒るよ。
 だいたい、生って字が頭につくと、何でも新鮮だって勘違いしてる人がいるけど、サラダみたいに、植物なら、新らしければ新らしいほど美味しいんだからわかるけど、肉はね動物だからね、生ってことは、肉の中にいる細菌も生ってことだから、新鮮で体力も充分な細菌が、適度な湿度と温度が保たれた、快適な人間の体の中でどんどん増殖しちゃうんだからねー。どうするどうするー。しかもこのO111はベロ毒素を作る。「ベロ毒素」名前が凄い。その致死量は「0.001mg」
これは史上最高の猛毒といわれるボツリヌスやダイオキシンにも匹敵する猛毒で 塩素の70万倍、筋弛緩剤の30000倍、青酸カリの4000倍、サリンの350倍 ベニテングダケの100倍、トリカブトの50倍、フグ毒の10倍に相当する
ちなみに参考程度だが計算上はプルトニウム239の32000倍の毒性になる
(プルトニウムの半数致死量は推定値) そうだ。
もう、考えるだに恐ろしい。そして、そのO111の感染源は、なま肉。牛が屠殺される時に飛び散った糞のなかに100個くらいの菌が、何かのきっかけでベロ毒素を作り出す。
ま、その意味ではなんにも悪い事をしていないのに、人間の食欲のために殺されていく牛達の自爆テロだったりするんだけどさー。とにかく、肉を生で食べるなんて野蛮な事はやめたほうがいい。これは、べつに今回食中毒を出した「えびすや」だからっていうわけじゃなくて、どんなに衛生的な店でも、どん
な高級な店でも、生で食べる以上は、そのリスクが在る、ってことなんだから、どうしても食べたけりゃ「絶対訴えません」って誓約書でも書いてから食べればいい。
 と、ここまで書いて、なんと数週間も経ってしまいました。そしたらどうでしょう、もはや世間ではユッケのユの字も在りません。毎日のように放送していたテレビも、えっ、それってなんでしたっけとぼけてんじゃないの?チュウくらい、見事なまでのとぼけようで、さすが、義務も責任も眼中にない電気紙芝居よと、納得したんだけど、改ためて、今回、なんでユッケでこんなに中毒が出たのか、ってことを考えてみたら、答えは簡単、安かったから、なんだよね。
 通常ユッケって、一皿700円以上するメニューだそうで、しかも、量だって小鉢にぽっちり、焼き肉なんかやくざの食い物じゃと差別している私には何の興味もないけれど、かなり高価な食べ物だから、もちろん、経済的生産性のない子どもなんかに食べさせるような物じゃない。なま肉が危ないと言う前に、贅沢と言う事で子どもには縁遠い食べ物だったんだろうね。ところが、今回の焼き肉屋では、ユッケは298円、半値以下の値段だもんね、子どもがほしがれば親だってそうそうダメだとは言えないし、同じく経済生産性のない年寄りだってそれくらいなら、と食べてしまう。
 で、結局ベロ毒素なんかにやられて、あの重傷だと言われてた皆さんはどうなったんだろうね。コレも全く報道されない。
 スポーツ紙じゃ、安かろうヤバかろう、なんて言ってたけどさ,冗談抜きで、「安かろう、悪かろう」の原則を忘れたがための災難、ダッタんじゃないのかなー。
それにしても「安かろう、悪かろう」って、凄い格言だよね。正に経済の原則をズバリ良い当ててる。
安い物は悪いと言うリスクが在るから安いんだ、そうでなければ高い物の立場がなくなる。安いものには、安い物なりの理由が在り、だから、そこんとこを了解して買わなければいけない。例えその安物が、とんでもないまがい物でも、食べたらおなかを壊しそうな物でも、それは安物に手をつけたリスクなのだ。そのかわり、その値段では到底買えないような価値のものだったとしたら、それはラッキーで、まさに安物というのは、ハイリスクハイリターン、一歩間違えれば命も落とす、スリリングな存在なのだと言う、経済の常識を教えてくれる格言なのだ。
 そもそも、物の値段はどう決まるのか、それはその製品がどれくらい、人間の時間を使って作られるかによる。と、コレは昔聴いた製本やの親父の話だけど、例えば、同じ本でも、印刷を一色にするか、四色にするか、つまり、白黒にするかカラーにするか、紙は高い安いか、綴じはミシンでするかのりで着けるか、表紙はただの厚紙にするのか、布を貼るのか、革張りにするか、しおりのひもは着けるか。高級感の在る丸背にするか、カバーの紙は? 見返しに紙を貼るのか、まだまだ在るけど、その工程によって、全く違ってくる。ピンは一冊100万もする私家版から、キリは見るからに安っぽいペーパーパックまで、どれだけ人の手がかかっているかで価格は決まる。
ひとつの物が出来上がるまでに人間が付き合った時間が長いと言う事は、それだけ丁寧に作られていると言う事で、そこには作り手の神経と技術と工夫がこめられており、製品の後ろには彼らの自信と誇りと譲らない信条がしっかりしみ込んでいる。
 だから、そんなにも思いのこもった品物を安い値段なんかで売るはずもなく、よしんば買い手が気に入らなければ正面切って文句に対峙する、すぐにあやまったりなんかしないんだぞ。と作り手は強気でいられるし、買い手のほうも、その価値を認めて高い料金を払ったのだから安心して文句をいい、改善を迫る事が出来る。早い話が、売り手と買い手のどちらもがひとつの物を間にして対等にいられるのだ。
 そして、これは安物を買ったときにもある意味当てはまる構図で、安物を間に、売り手と買い手は、その値段にふさわしい、妥協と、言い訳で、お互いのバランスをとって、こちらもしっかり対等だが、物を買うと言う目的が、「良い物を買う」ことなら、こちらのポジションはハイリスクだ。
 しかし最近では、このきわめて原始的な経済原則がおかしくなっている。景気が悪いから物が売れない、売れないから値段を下げる、安いものを買う、高いものは買わなくなる、物はどんどん安くなり、人間の値段もそれに連れて安くなり、それゆえ人々はますます安いものに群がってくる。
 とデフレイパイラルが始まって、最初のうちこそ危まれていた現象なのに、人々はどんどんそれに慣れ、安い事はまるで善行のようになり、本来の物の価値より、金額と言う数字で評価されるようになってしまった。
 マスコミも、何かと言うと安い居酒屋、安い衣料品、安いスーパーを持ち上げるようになった。しかも、悪い事にそこに「安かろう悪かろう」の原則が見えなくなって「安かろう 良かろう」という新らしい常識が強要されるようになった。
 安くてうまい、やすくてかわいい、安くて丁寧、そんな、間尺に合わない原理が登場して、価値観に地割れが起こっている。適正価格の水準がこんなに下がって、果たして人間は良い仕事ができるのか。全員がボランティアなら、ただ働きで生きていけるのなら、それもいいだろう、いっそ、「働いて糧をえるのは罪」と言うキリスト教の原理に乗っ取ってみるのも一興かもしれない。が、それが不可能だとわかっているなら、この「安かろう悪かろう」の原則を守っていかないと、ユッケで食中毒どころじゃないことが起こるんじゃないのかねーと


年寄りふふふ

こう見えても膀胱ガンと言う笑える病歴を持つ私は、それのケaのために、月に一度くらい、三鷹の某大学病院にかよっているんだけど、そのたんびに思うのは、年寄りの多さ。
 家の近所だって、結構年寄り多いけど、向こうからやって来る人の年齢を見ると、そりゃ私より若い人が多い。たいていは自転車に乗って入るけれど、みんな子連れの若い母親だったり、悪そうな女子学生だったり、馬鹿そうな男子高校生だったり、世間話ししながら集団登校している小学生だったり、とにかく安心してみていられる、体力の持ち主が多い。
ところが、三鷹というところは、ま、私が行く時間帯が若いもんはみんな働いたり学校行ったりしてるような時間だから仕方ないかもしれないけど、駅に着いたところから年寄りばっかり。病院行きのバスの中は当然年寄り。もちろん優先席はあ満員。その上、優先席に座る資格が在るはずの年寄りも、より年寄りの婆さんがきたら、席を譲らなくてはならず、今果てしなく問題になっている、年寄りが年寄りを見る老老介護現象が、病院行きのバスの中でダイレクトに見られる。
 そして、病院につけば、これはもう見渡す限りの年寄りの海。特に私の通ってる泌尿器科なんてとこは、原因が老化現象と言うケースが多いので、待ち合い室の長い椅子に座っているのは、ミーンナ私より年上の年より。医者が名前を呼んでも診療室に入るまでに時間がかかる。そのせいか、予約時間に見てもらうのは極まれ。私は断言するね、自分トコの社員を殺してまで死守しようとしたあの,JRが誇る鉄壁のダイヤをいとも簡単に狂わせてくれるのは、だれあろう、コレから無限大に増殖していく日本の年寄り達だと。
彼らは傲慢な態度と、それに追いつかない緩慢な動作を兼ね備え、よたよたとホームを歩き、正にしまろうとするドアに体当り、目的を遂行する。
「駆け込み乗車は御やめください」なんて言ったって通用しない。だって駆け込んでないもん、ふつうに歩いても間に合わないから仕方ないだろ。だいたい客がちゃんと乗り込むまで待ってるのが常識だ、と開き直る。
そして、数に物を言わせて、危ない年寄りが完全に乗り込むのを確認して発車するする事を義務づける法律を作ってしまう。しかして、年寄りにいいようにされたJRは、見るも無惨に時間の秩序をなくしていくのであった。
 そういう事になったら、駅ビルで買い物させるためにずっと先まで歩かなくちゃならないようなエレベーターを作った事への仕返しに、ホームで電動車いすラリーってのはどうよ。ホームは幅といい長さと良いラリーにはもってこい、うっかりスピード出しすぎて線路に飛び出したら、それはもう自己責任てことで、年寄りには楽しく一生を全うしてもらえばいい。新手の自爆テロだ。
たのしいね。これから先増える年寄り対策に、優先席なんか取っ払っちゃった方が良いんじゃないの。
って、話が横道にそれたけど、それくらい過激な事考えちゃう年寄り社会の縮図が病院なんだよね。
なんかね、あそこにいると、自分も凄ーくぼけちゃうような気がしてくる。
かくいう私も御年62。確実に着実に老化への道を突き進んでおり、診察室に入るなり、「地震の時先生手術中だった?」「患者さん全身麻酔だったから気がつかなかった」「怖くないの?」「電気止まんなくてよかったよ」などとつまらない世間話を始める迷惑婆になりつつ在ります。から、余り年寄りの悪口は言えないんだげとさ、だけど、年寄りか゜一番嫌いなのは年寄りだからね、せめて病院の入り口にじいさん立たせとくのだけは(これボランティァのおじいさん)やめてくんないかなー。


トラウマ

「告発の時」と言う映画を見た。トミー・リー・ジョーンズ主演の告発もの、といえぱ、無実の息子のために真相を求める静かで暖かい父親、って言うイメージだけど、この映画はちょっと違った。始めのうちこそ、イラクから帰還した息子が休暇が過ぎても隊にもどらす゛、心配した父親がトラックで駆けつけるという、思ったとおりの展開なのだが、失踪した息子が、無惨な焼死体で見つかり、軍と警察の縄張り争のために捜査が二転三転する辺りから、無実の息子の汚名を晴らすと言うパターンが崩れてくる。実はこの息子、父にとっては最後に残った(兄は既に戦死) 自慢の息子だったんだけど、イラクで戦争やってる間に、覚せい剤はやるは、捕虜は虐待するは、信じられないような破壊された人格になっていたんだよね。で、何が原因かって言うと、もちろん、悲惨な戦争体験。イラクの国民を助けにいくと言う大義名文でやってきたのに、助けを求めているはずのイラク人は、敵意をむき出しにし、町の辻辻で待ちぶせして銃を向ける。そこら中に仕掛けられた地雷、ニコニコしながら近づいてきては自爆する敵、一度走り出したら何
ても止まってはいけない。例え子どもが横切ってもそのまま突っ走れ。なぜなら、止まったとたん、屋根の上が在っからロケット弾が飛んでくるから……。と、まー自分と仲間を守るためなら、どんな悪い事だって許される、みたいな命令をされて、それに逆らうとも出来ず彼の心は少しずつ壊れていく。もちろん、彼だけでなく生死をともにした大切な友人達も。
   そりゃそうだよね、だって、子どものときから、人には優しくしろ、弱いものを助けろ、正義のためなら怖れず信念を持って突き進め、なんていう、極上の善人になるように教育され、本人もそうなる事を切望して入った軍隊に、それと全く正反対の事を強要され、それがよしとされ、それに反発する事は許されず、それを守らなければ自分も仲間も危険にさらされる。いや、夢ではなく、本当に命を失う。「可哀想な人たちをすくう」ためにイラクに行った若者は、本当に可哀想なのは自分たちだった事を知らされる。しかも、イラクには助けが来るが、自分たちにはそれはない、例え間違っていようと、頭の中が真っ白になろうと人殺しと理不尽な行動を続けるしかないのだ。
こんな、凄まじい価値観の反転に、20そこそこの若い男の子たちが対応出来る訳はない。だから殆どの兵隊達は忘れるために酒を飲む、女を抱く、薬をやる。そしてぼろぼろになった心が、体が、生きる事を拒否する。若く、瑞々しく、まだまだ楽しい未来を夢想出来るのに、その時間を生きていくのが怖いのだ。このまま一思いに息の根を止めてしまたいのだ。それほど、苦しい葛藤の末に、若い兵士は仲間に殺された、人を殺す事に何の感動も持たない、彼と同じ仲間に。
イラク戦争については、ブッシュが9.11の報復のために強行したときから、人間対人間と戦争ではなく、ボタンひとつで操作してミサイルを落とすように、ひどく無機的な感じがして、人を殺す事へのなれが怖いと思っていたんだけど、実際に戦地で闘った兵隊達は無機的どころか、生身の人間を物のように無感動に殺していかなければならないと言う、人間で在ることを捨てる行為を強要されていたんだよね。そしてそれがトラウマになった。
まったく、人間と言う物は、何でもすぐに忘れるくせに、生死に関わる事は脳の奥に潜んでいるスポンジのような感受性がすっかり吸い取って、決して忘れてくれない。それどころか、時間が経つに連れてスポンジの中から記憶の滴が落ちてきて、一滴、一滴と脳の中に広がっていく。そして、最後の一滴が大脳辺縁系の淵を濡らした時、脳はもろもろと音も立てずに崩れていく。まるで砂の固まりが波に壊されていくように。
日本にも憲法では認められていないけれど、自衛隊員と言う兵隊がいる。東北大震災では、命を顧みず、必死で遺体の捜索や、救援作業に励んでいる。私たちも、日頃は戦争放棄の名の下に自衛隊に対しては、微妙な感情を持っていたけれど、今回は素直に「ありがとうございます」と感謝出来る。それほど、彼らの活躍は目覚ましく、いっそこのまま兵隊としてではなく、災難救助隊として出直したらどうだろうかと、本気で思ってしまうのだが、そんな強い自衛隊員が、今、想像を絶する遺体を処理しなければならない現実におし潰されそうになっている。
隊に戻って遺体を捜索したくないばっかりに、コンビニで下半身を露出してつかまったり、原発が怖くてトラックを盗んだり、自衛隊員による奇妙な犯罪がおきている。この大地震が被災者だけでなく、それに携わる人々にも大きなトラウマを残している事が痛ましい。
イラクのように、非人道的な事を強要される訳ではないけれど、コレまでの生活と余りにもかけ離れた状況に適応するための、精神的サポートを、自衛隊員全員に提供する必要が在る。菅さん、国民へのパフォーマンスに被災者の下に行くのも良いけれど、一度くらい自衛隊員のまえで、感謝の気持ちを述べてもいいんじゃないのかねー。「それが仕事」かもしれないけれど、彼らはその仕事を全うしています。少なくともあんたよりかはね。


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