去年の暮れから自転車をやめた。
暮れの忙しいときにパンクして、なんとか直したんだけどその翌日に駅前に置いといたら放置自転車で持っていかれた。だってー、駅前開発とか言って勝手に自転車置き場を2個も閉鎖しちゃうから、国分寺中の自転車が怒濤のように残ったわずかな自転車置き場になだれ込み、昼過ぎ何ぞはどこに行っても満車の看板だらけで、仕方がないから駅前に、しかも土曜だから自転車狩りはこないと思ったノニー、と罪もない撤去自転車置き場のおじさんに愚痴りながら大枚2千円の身代金を払って取り戻したと思ったら、今度は走ってる最中にパーンってすごい音がしてパンク。中古で買った故のへたったチューbと、10キロの猫砂、2リットルの焼酎、等など我が家の生活必需品との戦いにけりがついたのが原因なんだけど、完全にぺしゃんこになった後輪をもちゃげるように家まで引いていきながら、だんだん腹が立ってきて「もうー、自転車なんかいらない」って気持ちになっちゃったんだよねー。
ま、別に自転車に罪が在るわけじゃないんだけどさ、そりゃ、自転車は燃料は入らないし、排気ガスは出ないし(当然か)場所は取らないし、維持費が安いし、これからの時代にジャストマッチした乗り物だから、自動車が増えるくらいなら、自転車をもっと増やして、日本総天安門化計画を立ち上げたいようなもんだけど、こと、私個人の事情になると、そうもいってられない。
なぜなら、私が住んでいる小平市ははっきり言って田舎で、ちょっと公民館に行く、とか、郵便局に行くとかっていっても、そのちょっとが妙に遠い。家の実家(新宿区)なんか、歩いて5、6分のところに郵便局や公共施設が在るし、都心に出るのにも近いから、駅まで歩いても苦にならない。しかしここ小平ではちょっとは15分以上だし、駅から都心までが遠いからせめて駅までは自転車で時間を稼ごうなんてサモしいことをしてしまう。ま、早い話が、何かと自転車を便利に使ってしまい、気がついたら自分の足で歩くことが、ほんと少なくなってたんだよねー。
で、この事が私にどんな影響をもたらしているかと言うと、誰かと約束していても、自転車で行く事を計算に入れているからいつもギリギリで、結局待たせてしまったり、ほんのちょっと先のコンビニにまで自転車を使うようになったり、面倒な事を回避する傾向が顕著になり、それでなくても増え続けている体重も障害がないために止まる気配もなく、なんとなく、生活にメリハリがなくなったような、感じが強くなってたんだよねー。
これじゃーいかんのよ。昔は玉川上水を毎日散歩して、一日1時間以上歩いていたし、歩いてる時はとても楽しくて、回りの風景や、花や樹や、木の実をみたり、触ったり、においを嗅いだり、体中の感覚がしっかり粒だっていて、そのひとつひとつが呼吸してているような実感が在ったのに、最近じゃまるでスクリーンでもみるように平坦で面白みのない風景の中を走っている。やっぱ、自転車から降りて自分の足で歩かにゃいかんのよねー。
というわけで、歩きはじめて半月。始めのうちはおっくうだったけど、今では仕事も歩いていく。ただし買い物は重いのでこどもの自転車をかりていきますが。それでも、平均1,5時間は歩く。特にここ2,3日はコンサートのチラシをポスティングしているので、2時間を越える事も在る。うーん我ながらよく歩く。
というわけで、便利で経済的な自転車のない生活がつづいてるんだけど、考えてみると人間が便利だとおもって作り出したものって、ほんとに必要なんだろうかねー。
もちろん。自転車みたいに動力を人間に頼っている乗り物なら、そう環境に影響ないかもしれないけれど、自動車だって、飛行機だって、なんかねー、なかったらどうなの? ってとわれたら、「早く行けない」くらいの答えしかないもんね。じゃ、早く行けなくたって時間かければ行く方法が在るんならそれでいいじゃん、などとへりくつを並べたくなるくらいのもんだけど、世の中が「別に早く行かなくたっていい」っていう価値観になったらどうすんだろう。それでもやっぱり乗るのかなー。
ってそう考えていくと、なくたっていいものの筆頭は、私に取ってはやっぱり携帯電話(出ましたニックキ携帯)。もちろん、ご存知のとおり私は携帯を持っていないので、なくたっていいんじゃなくて最初っからないんだから関係ないのですが、その関係ない私めに、携帯電話が、なんと関係を迫ってきたんですよ、年の瀬に。
その日上の娘が命より大切、まるでリオのカーニバルを待つその日暮らしの貧しいメイドのように心待ちにしている、リオじゃない東京ビッグサイトのコミックマーケット、ま、俗にいうコミケですな、に友達と待ち合わせして、チョー早起きして出かけていきましたのじゃ。ところが、なににしろ期待に胸がはじけそうで頭はもはや破裂しちゃっている朋代ちゃん(娘の名前)、うっかり携帯を忘れていっちゃった。しかも、忘れたときに限って友達が待ち合わせの時間に来ない、その上自分もちょっと遅れちゃったということで、彼女がおこって先に行ったのか、それともただ単に遅れたのかがわからない、わからないから携帯で確かめたいけど携帯がない、だから、どうしたらいいのかわんない、うーん、こうなったら自分ちに電話するっきゃない、とばかりに家に電話をかけてきた
「もしもしQちゃん、携帯忘れちゃったんだけどその辺にない?」
「机の上に在るよ」
「じゃ、携帯に友達からメールが来てるかどうかみて」
「メールなんて、見方知らないよ」
と、ここでちょっと解説。私のパートナーのQは、仕事上携帯をもってはおりますが、私に増して機械音痴の、ITぎらい。生まれてこのかたキーボードなんて触った事もなければ食べた事もない男なので、彼の携帯は文字通り携帯電話の受信と送信、つまり音声のみのコミュニケーション。メールの送り方も、受け取り方も全くご存じないから、朋代ちゃんが、いくら、メールをクリックしてなんて言ったって通じる訳がないのです。
「なんでもいいから、その辺押しテー」と絶叫すれど思いは通じず仕方なく一階目の電話は切れた。
「もしもし、母ちゃん、よっかったー、携帯忘れたんだけど、メールみてくんない?」
「めーる? そんなもんわかるわけないでしょ」
何をほざいているのかこの娘は、私がこんなに携帯を嫌っているのを知らない訳はないだろうが、バカモンガー、とはおもったけど、パニック状態の我が子にちょっと同情して(怒りの余り周りの方々に暴力的行為におよんではと言う心配も在った)携帯の画面のメールの所をクリックすると、あら不思議、なんと朋代ちゃんが探し求めていた友達からのメールが出てきたではないか、
「なになに、ごめんすごい寝坊しちゃって、今電車に乗るとこです。先に並んでおいてください。頑張って探します」なるメッセージ。
「むこうも寝坊したんだってさー」
「そうなんだ、じゃ、先に行ってるってメール送っといてくれる?」
「なにいってんの、メールの仕方なんかわかんないよ」
「じゃ、電話番号教えて」
「友達の電話番号くらいおぼえてないの?」
「携帯の中にはいってんだもん、おぼえてないよ」
「ほらみなさい。そうやってミーンナ馬鹿になっていくんだよ、なんだかんだ」
と説教モードに入った私に、ヤバいと思ったのか「じゃいいよ」と電話を切るともよちゃん。
かくして、携帯に頼りきって見事裏切られた娘と、触りたくない携帯に、無理矢理付き合わされて不機嫌になった母との、珍問答は終わったんだけど、こんな風に、関わらないぞとちかっても、知らん顔してずかずかと人の生活に割り込んでくる携帯の厚かましさには、ほんとうんざりさせられた。
ねー、ほんと、まったく、携帯ってね必要ないでしょ? 平和を脅かすでしょ。だから、やっぱり、なくていいものなんですよ。
暮れの忙しいときにパンクして、なんとか直したんだけどその翌日に駅前に置いといたら放置自転車で持っていかれた。だってー、駅前開発とか言って勝手に自転車置き場を2個も閉鎖しちゃうから、国分寺中の自転車が怒濤のように残ったわずかな自転車置き場になだれ込み、昼過ぎ何ぞはどこに行っても満車の看板だらけで、仕方がないから駅前に、しかも土曜だから自転車狩りはこないと思ったノニー、と罪もない撤去自転車置き場のおじさんに愚痴りながら大枚2千円の身代金を払って取り戻したと思ったら、今度は走ってる最中にパーンってすごい音がしてパンク。中古で買った故のへたったチューbと、10キロの猫砂、2リットルの焼酎、等など我が家の生活必需品との戦いにけりがついたのが原因なんだけど、完全にぺしゃんこになった後輪をもちゃげるように家まで引いていきながら、だんだん腹が立ってきて「もうー、自転車なんかいらない」って気持ちになっちゃったんだよねー。
ま、別に自転車に罪が在るわけじゃないんだけどさ、そりゃ、自転車は燃料は入らないし、排気ガスは出ないし(当然か)場所は取らないし、維持費が安いし、これからの時代にジャストマッチした乗り物だから、自動車が増えるくらいなら、自転車をもっと増やして、日本総天安門化計画を立ち上げたいようなもんだけど、こと、私個人の事情になると、そうもいってられない。
なぜなら、私が住んでいる小平市ははっきり言って田舎で、ちょっと公民館に行く、とか、郵便局に行くとかっていっても、そのちょっとが妙に遠い。家の実家(新宿区)なんか、歩いて5、6分のところに郵便局や公共施設が在るし、都心に出るのにも近いから、駅まで歩いても苦にならない。しかしここ小平ではちょっとは15分以上だし、駅から都心までが遠いからせめて駅までは自転車で時間を稼ごうなんてサモしいことをしてしまう。ま、早い話が、何かと自転車を便利に使ってしまい、気がついたら自分の足で歩くことが、ほんと少なくなってたんだよねー。
で、この事が私にどんな影響をもたらしているかと言うと、誰かと約束していても、自転車で行く事を計算に入れているからいつもギリギリで、結局待たせてしまったり、ほんのちょっと先のコンビニにまで自転車を使うようになったり、面倒な事を回避する傾向が顕著になり、それでなくても増え続けている体重も障害がないために止まる気配もなく、なんとなく、生活にメリハリがなくなったような、感じが強くなってたんだよねー。
これじゃーいかんのよ。昔は玉川上水を毎日散歩して、一日1時間以上歩いていたし、歩いてる時はとても楽しくて、回りの風景や、花や樹や、木の実をみたり、触ったり、においを嗅いだり、体中の感覚がしっかり粒だっていて、そのひとつひとつが呼吸してているような実感が在ったのに、最近じゃまるでスクリーンでもみるように平坦で面白みのない風景の中を走っている。やっぱ、自転車から降りて自分の足で歩かにゃいかんのよねー。
というわけで、歩きはじめて半月。始めのうちはおっくうだったけど、今では仕事も歩いていく。ただし買い物は重いのでこどもの自転車をかりていきますが。それでも、平均1,5時間は歩く。特にここ2,3日はコンサートのチラシをポスティングしているので、2時間を越える事も在る。うーん我ながらよく歩く。
というわけで、便利で経済的な自転車のない生活がつづいてるんだけど、考えてみると人間が便利だとおもって作り出したものって、ほんとに必要なんだろうかねー。
もちろん。自転車みたいに動力を人間に頼っている乗り物なら、そう環境に影響ないかもしれないけれど、自動車だって、飛行機だって、なんかねー、なかったらどうなの? ってとわれたら、「早く行けない」くらいの答えしかないもんね。じゃ、早く行けなくたって時間かければ行く方法が在るんならそれでいいじゃん、などとへりくつを並べたくなるくらいのもんだけど、世の中が「別に早く行かなくたっていい」っていう価値観になったらどうすんだろう。それでもやっぱり乗るのかなー。
ってそう考えていくと、なくたっていいものの筆頭は、私に取ってはやっぱり携帯電話(出ましたニックキ携帯)。もちろん、ご存知のとおり私は携帯を持っていないので、なくたっていいんじゃなくて最初っからないんだから関係ないのですが、その関係ない私めに、携帯電話が、なんと関係を迫ってきたんですよ、年の瀬に。
その日上の娘が命より大切、まるでリオのカーニバルを待つその日暮らしの貧しいメイドのように心待ちにしている、リオじゃない東京ビッグサイトのコミックマーケット、ま、俗にいうコミケですな、に友達と待ち合わせして、チョー早起きして出かけていきましたのじゃ。ところが、なににしろ期待に胸がはじけそうで頭はもはや破裂しちゃっている朋代ちゃん(娘の名前)、うっかり携帯を忘れていっちゃった。しかも、忘れたときに限って友達が待ち合わせの時間に来ない、その上自分もちょっと遅れちゃったということで、彼女がおこって先に行ったのか、それともただ単に遅れたのかがわからない、わからないから携帯で確かめたいけど携帯がない、だから、どうしたらいいのかわんない、うーん、こうなったら自分ちに電話するっきゃない、とばかりに家に電話をかけてきた
「もしもしQちゃん、携帯忘れちゃったんだけどその辺にない?」
「机の上に在るよ」
「じゃ、携帯に友達からメールが来てるかどうかみて」
「メールなんて、見方知らないよ」
と、ここでちょっと解説。私のパートナーのQは、仕事上携帯をもってはおりますが、私に増して機械音痴の、ITぎらい。生まれてこのかたキーボードなんて触った事もなければ食べた事もない男なので、彼の携帯は文字通り携帯電話の受信と送信、つまり音声のみのコミュニケーション。メールの送り方も、受け取り方も全くご存じないから、朋代ちゃんが、いくら、メールをクリックしてなんて言ったって通じる訳がないのです。
「なんでもいいから、その辺押しテー」と絶叫すれど思いは通じず仕方なく一階目の電話は切れた。
「もしもし、母ちゃん、よっかったー、携帯忘れたんだけど、メールみてくんない?」
「めーる? そんなもんわかるわけないでしょ」
何をほざいているのかこの娘は、私がこんなに携帯を嫌っているのを知らない訳はないだろうが、バカモンガー、とはおもったけど、パニック状態の我が子にちょっと同情して(怒りの余り周りの方々に暴力的行為におよんではと言う心配も在った)携帯の画面のメールの所をクリックすると、あら不思議、なんと朋代ちゃんが探し求めていた友達からのメールが出てきたではないか、
「なになに、ごめんすごい寝坊しちゃって、今電車に乗るとこです。先に並んでおいてください。頑張って探します」なるメッセージ。
「むこうも寝坊したんだってさー」
「そうなんだ、じゃ、先に行ってるってメール送っといてくれる?」
「なにいってんの、メールの仕方なんかわかんないよ」
「じゃ、電話番号教えて」
「友達の電話番号くらいおぼえてないの?」
「携帯の中にはいってんだもん、おぼえてないよ」
「ほらみなさい。そうやってミーンナ馬鹿になっていくんだよ、なんだかんだ」
と説教モードに入った私に、ヤバいと思ったのか「じゃいいよ」と電話を切るともよちゃん。
かくして、携帯に頼りきって見事裏切られた娘と、触りたくない携帯に、無理矢理付き合わされて不機嫌になった母との、珍問答は終わったんだけど、こんな風に、関わらないぞとちかっても、知らん顔してずかずかと人の生活に割り込んでくる携帯の厚かましさには、ほんとうんざりさせられた。
ねー、ほんと、まったく、携帯ってね必要ないでしょ? 平和を脅かすでしょ。だから、やっぱり、なくていいものなんですよ。
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