民主党の公約、公立高校授業料免除に、公立だけでなく、私立高校にも、補助金を付けようと言う動きがおこっているらしい。公立だけで、高校進学志望の子ども達を受け入れるのは物理的に無理なのだから、私立に行かざるを得ない子ども達のために、修学援助が必要ということなんだろうげと、私はちょっと疑問が有る。
公立も私立も、行きたい人はみんな国が援助しますよ、って言う姿勢に文句が有る訳じゃないし、もちろん、うちの子は大学だから、もう援助してもらえないし高い税金払ってるのに、他の人ばっかり得してずるい、などというみっともない事をいってるんじゃなくて、私が疑問に思うのは、子ども達は本当に高校に行きたいと思っているのか、ってことなんだよね。
そりゃ、人間教育を受けないと、いろいろな事でデメリットを受けるし、人格形成の上でもいい結果が出ないと思うけど、それって別に高校や大学にいった、いかないは関係ないんじゃないのかな。
特に日本は、義務教育の9年間の中で、必要最低限の読み書きそろばん、科学の知識、生活を楽しむ美術や音楽、生活して上で必要な保健の講習まで受けられるんだから、9年間で培った教養のベースは誰でも持っている。でもって、それを手に入れた上で、もっと数学のことを知りたい、美しい日本語に触れたい。地球の成り立ちを研究したい、などなど、自然にわき上がってくるたくさんの欲望を満足させるために、より深い知識を教えてくれる高校や、大学が有るんじゃないのかな。早い話が、生きていくために必要だと思うもの、知りたいと思うものをたろたろ取り揃えてくれて、それを教えてくれる指導者がいて、おまけにデリバリーまでしてくれる、とても便利な知識のスーパーマーケットみたいなところなんだよね。
でもね、いくら便利なところでも、100人が100人スーパーで満足するとは限らない。志望者の中には地味な小売店の方がいいと思うやつもいる。みんながほしがる流行の勉強じゃなくて、一点物しか置いていない、鞄作りの技術が欲しいやつ。冷凍食品より近くの畑でとれた野菜を自分の手で料理したいやつ。建て売りを買うより、金槌とのこぎりで家を建ててみたいやつ。高校に入るために、みんなと同じような事を暗記して、神経すり減らして次に続く大学受験に時間を使うより、もっとたくさん実際の作業を体験したい。そういう子ども達はたくさんいるはずだし、そういう子ども達のための支援していかなくちゃ行けないんじゃないのかな。
昔は読み書きそろばんが出来たら、後は学校には行かないで、やりたい事をやるために社会に飛び出していった人間がたくさんいたんだよ。だいたい大工にして左官にしても、旋盤、板金、腕一本で食べていくに足る技術を取得するには、中学を卒業したくらいの論理より、体が覚えると言う、かなり動物的な能力が必要で、見込みの有る子どもは、親方が文字通り親わりになってみっちり仕込んだんだよね。
親の殆どが「せめて高校だけはいって」と、高校の卒業免状が人生の必携アイテムのように考えている今の世の中では、中卒で住み込みで働くナンザ、まるで奴隷商人に我が子を売り飛ばしたようなもんなんだろうけど、本当にやりたい事を見つけた若者にとって、知らない事は何でも教えてくれる、まるで奇跡のように素晴らしい物を作っていく親方は、真に尊敬する存在で、その親方のそばで暮らす事は、とても充実した日々なんじゃないのかなー。
自分の生活を自分の技術で営んでいく、そのためには、高校や大学に行っている時間が惜しい、そう思っている子ども達って、本当は結構いるんじゃないかなと思う。だけど、どうしてもみんなと一緒じゃないと怖くて仕方ない親のせいで実行に移せない。一回しか生きられない人生を好きなように生きていけない子ども達が、自由に生き方を選べる、そんな教育体制って、できないもんなかねー。
国民のための教育、人を生かすというなら、民主党も、思い切って、高校くらい行かなくちゃ、なんてつまんない学歴偏重主義を捨てて、高校なんか行かなくても好きな道に進めるようなシステムを作ったらどうなのかなー。
物作りに従事する技術者や、芸術家を育てるための無料の施設をつくる。彼らの将来にかけて経済的な支援を奨学金の形で用意する。国民全員をサラリーマンにするような画一的な政策じゃなく、それぞれの資質と希望に合った道を探せる可能性を用意する。
本当の意味でのチェンジって、こういうことをいうんじゃないのかな。ね、鳩山さんどう思う?
公立も私立も、行きたい人はみんな国が援助しますよ、って言う姿勢に文句が有る訳じゃないし、もちろん、うちの子は大学だから、もう援助してもらえないし高い税金払ってるのに、他の人ばっかり得してずるい、などというみっともない事をいってるんじゃなくて、私が疑問に思うのは、子ども達は本当に高校に行きたいと思っているのか、ってことなんだよね。
そりゃ、人間教育を受けないと、いろいろな事でデメリットを受けるし、人格形成の上でもいい結果が出ないと思うけど、それって別に高校や大学にいった、いかないは関係ないんじゃないのかな。
特に日本は、義務教育の9年間の中で、必要最低限の読み書きそろばん、科学の知識、生活を楽しむ美術や音楽、生活して上で必要な保健の講習まで受けられるんだから、9年間で培った教養のベースは誰でも持っている。でもって、それを手に入れた上で、もっと数学のことを知りたい、美しい日本語に触れたい。地球の成り立ちを研究したい、などなど、自然にわき上がってくるたくさんの欲望を満足させるために、より深い知識を教えてくれる高校や、大学が有るんじゃないのかな。早い話が、生きていくために必要だと思うもの、知りたいと思うものをたろたろ取り揃えてくれて、それを教えてくれる指導者がいて、おまけにデリバリーまでしてくれる、とても便利な知識のスーパーマーケットみたいなところなんだよね。
でもね、いくら便利なところでも、100人が100人スーパーで満足するとは限らない。志望者の中には地味な小売店の方がいいと思うやつもいる。みんながほしがる流行の勉強じゃなくて、一点物しか置いていない、鞄作りの技術が欲しいやつ。冷凍食品より近くの畑でとれた野菜を自分の手で料理したいやつ。建て売りを買うより、金槌とのこぎりで家を建ててみたいやつ。高校に入るために、みんなと同じような事を暗記して、神経すり減らして次に続く大学受験に時間を使うより、もっとたくさん実際の作業を体験したい。そういう子ども達はたくさんいるはずだし、そういう子ども達のための支援していかなくちゃ行けないんじゃないのかな。
昔は読み書きそろばんが出来たら、後は学校には行かないで、やりたい事をやるために社会に飛び出していった人間がたくさんいたんだよ。だいたい大工にして左官にしても、旋盤、板金、腕一本で食べていくに足る技術を取得するには、中学を卒業したくらいの論理より、体が覚えると言う、かなり動物的な能力が必要で、見込みの有る子どもは、親方が文字通り親わりになってみっちり仕込んだんだよね。
親の殆どが「せめて高校だけはいって」と、高校の卒業免状が人生の必携アイテムのように考えている今の世の中では、中卒で住み込みで働くナンザ、まるで奴隷商人に我が子を売り飛ばしたようなもんなんだろうけど、本当にやりたい事を見つけた若者にとって、知らない事は何でも教えてくれる、まるで奇跡のように素晴らしい物を作っていく親方は、真に尊敬する存在で、その親方のそばで暮らす事は、とても充実した日々なんじゃないのかなー。
自分の生活を自分の技術で営んでいく、そのためには、高校や大学に行っている時間が惜しい、そう思っている子ども達って、本当は結構いるんじゃないかなと思う。だけど、どうしてもみんなと一緒じゃないと怖くて仕方ない親のせいで実行に移せない。一回しか生きられない人生を好きなように生きていけない子ども達が、自由に生き方を選べる、そんな教育体制って、できないもんなかねー。
国民のための教育、人を生かすというなら、民主党も、思い切って、高校くらい行かなくちゃ、なんてつまんない学歴偏重主義を捨てて、高校なんか行かなくても好きな道に進めるようなシステムを作ったらどうなのかなー。
物作りに従事する技術者や、芸術家を育てるための無料の施設をつくる。彼らの将来にかけて経済的な支援を奨学金の形で用意する。国民全員をサラリーマンにするような画一的な政策じゃなく、それぞれの資質と希望に合った道を探せる可能性を用意する。
本当の意味でのチェンジって、こういうことをいうんじゃないのかな。ね、鳩山さんどう思う?
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